- 13年リオ世界選手権金メダルのラファエラ・シルバ(左)を見守る藤井裕子さん
<三須記者がリオで見る:カーニバルの光と影>
【リオデジャネイロ4日(日本時間5日)=三須一紀】南米初となるリオデジャネイロ五輪が今日5日(同6日)、開幕する。その開催国、ブラジル柔道チームに日本人女性コーチがいる。藤井裕子さん(33)。13年からリオデジャネイロに住み、新婚生活、出産、育児を経験しながら指導を続けた。「世界を旅する柔道家」が日本から遠く離れた地球の裏側で、何を得たのだろうか。
柔道着を身にまとった、やまとなでしこの胸に、緑と黄色のブラジル国旗が躍る。3年以上、畳の上で厳しい練習を共にしてきた選手の姿に「今までで一番、目が輝いている。今までのピークです」と目を細めた。藤井さんが異国の地で築いた信頼関係は、本物だ。
海外に拠点を置いて長い年月が経つ。12年ロンドン五輪では英国柔道チームのコーチだった。そもそも中学時は全国2位、高校時も同3位の実力者。しかし、広島大卒業後「子どもの頃から漠然と海外の人と話したいと感じていた」と07年に、英国に留学したことが“波瀾(はらん)万丈”に身を置くきっかけだった。
帰国後の12年末、英国滞在中に知り合った陽樹さん(29)にプロポーズされた。しかし、この時、既にブラジル行きが決まっていた。ロンドン五輪前から受けていたオファー。翌日、「私、ブラジルに行く」と言うと、さすがに「ちょっと待って」と返ってきたが、さらに翌日「付いていくよ」と結婚が決まり、夫婦としてブラジルに渡った。
ポルトガル語は全く話せなかった。そんな中、妊娠が発覚。「日本だったら細かく分かる出産情報が全くなかった。逆に余計なことは考えずに真っすぐ立ち向かえた」と前向きだった。
出産後2カ月で職場復帰した。長男清竹くん(2)を連れて行っても、ブラジルの風土は寛容だった。リオ市に住み、ファベーラ(貧民街)の道場にも普通に教えに行っていた。日本では連日「危険」と報道されている国で、藤井さんは流れに身を任せた。約10年、スポーツを通じて海外で生活し、分かったことがある。
「相手がなんでこういう考え方なのか自体を、考えてあげる。何語なのかは関係ない。人の心を読むことが大切」と話す。ブラジル人の特徴は「意味や生産性を感じないと、練習をやらない」ところだった。それを理解し、向き合い、信頼を勝ち取った。
平和の祭典を前に昨今の不安定な世界情勢にも触れた。「生き方は1つじゃない。違いを認められれば人々が穏やかになれると思う。人を痛めつけようと思って生まれてくる子はいませんから」。4年後の東京五輪は「日本なのか世界なのか。どこにいるか分かりません」と笑った。
◆藤井裕子(ふじい・ゆうこ)1982年(昭57)8月18日、愛知県大府市生まれ。10年5月から英国チームで指導し、ロンドン五輪では、女子78キロ級のジェマ・ギボンズが銀メダルに輝き、同国柔道界の12年ぶりのメダルに貢献した。