プロレスラー、政治家として活躍したアントニオ猪木さんが亡くなった。北朝鮮を訪問し続けるなど型破りな行動で知られた。力を入れていた「スポーツ外交」とは、どういうものだったのか? 今から9年前の2013年5月20日、元陸上選手の為末大さんと対談し、自らの考えを余すことなく語った。その直後に猪木さんが参院選への出馬を表明したことから、選挙運動への影響を考慮して掲載は見送りとなっていた。生前の功績をしのび、当時のインタビューを公開したい。全4回目の最終回。【構成=佐藤隆志】
◇ ◇
為末 今は政治の舞台ではないと思いますが、何かスポーツ外交でこんなアイデアをというのはありますか?
猪木 姉妹都市って前からありますが、そうじゃなくて、スポーツ交流都市っていうのはどうかなと思うんですね。今、北朝鮮でも、中国でも、アメリカも含めて世界中もっとスポーツに力を入れていこうという方向で走っていますからね。あんまり制約のないスポーツ交流都市というか、スポーツマンがいろんな種目を、伝統的なスポーツもあるでしょうから、それを交流できるようなものをつくればいいんじゃないかなって前から思っています。
為末 各競技で交流したりとか?
猪木 まぁ協会があるじゃないですか。そういうのでなくて、市民レベルでいろいろ交流できれば。サッカー協会、何とか協会っていう、これって結構縛りが強いでしょ。
為末 結局、なんだか政治っぽくなってきたりしますからね。もうちょっと各個人レベルでやったりとか。そういうものが増えればいい。
猪木 そうですね。お互いが交流することで、お互いが知るというか。まぁ北朝鮮の話、何べんも出しますが、今日もテレビ見ていて、みなさん専門でいろいろ語られている。結局、行ったこともない話でしょ。どこからか聞いてきた話をつまんで話している。まぁ専門家だからしょうがない。要するに、なぜこの何十年間(北朝鮮の拉致問題などが)解決できないできているのか? それじゃあダメだから違う方向で何かを提案して、結果、解決に向けていかないとけない。
そういう意味では、もっとざっくばらんな、オレなんかもっとざっくばらんな話をしてますからね。中国にも行くたびに要人と会っています。私は外交専門だったんで、それぞれの民族の考えも立場も色々あるんで、逆に日本の物差しで全部押し付けようとする今までの政治のやり方はちょっとね。アメリカの傘の下にいて難しいことは全部アメリカに押し付けていればよかった。でも、独自性というか、本当の独立というか、そのような立ち位置から各方面に誰がメッセージを送るのかっていうのが大事だね。
為末 同じ出来事でも、片方から見ると正義で、片方から見ると悪に見える。もしくは両方違う正義を持ってぶつかるってこと、よくあるじゃないですか。その時にもう1つこう、違う第三の上の次元の見方みたいなのがあった方がいいなって思います。
猪木 向こうには向こうの言い方があるんですね。強制連行の話だとかそういうのも含めて。ここだけを切り取って話していてもうまくいかない。まあ外交に勝利なしという言葉があって、両方の国民が後ろにいるわけですからね。イラクの人質解放の時もそうですが、国連も国も外務省もどこも動けなかったって時に、動いたという経験をさせてもらってますんでね。人同士がもっと触れ合えば、中国人だって、日本に来て悪くいう人はいませんからね。「いい国ですね」って。行ったことのない、見たことのない人に言われればそうなってしまうわけですから。
為末 オリンピックを今、日本に呼ぼうとしているじゃないですか。(東京への)五輪招致に関しては何かお考えはありますか。
猪木 いろいろちょっと頼まれて。キューバが2票でしょ、スペイン2票、あっスペインじゃなくてメキシコ2票、それとブラジル2票。なんでキューバが2票持っているのか分からないんですけどね、小さな国なのにね。イスラム圏の大使さんにもこの間、話をして。北朝鮮はこれ11票、北朝鮮が11票持っているんじゃなくて北朝鮮の関係の人。これ言ってもいいんですけど、昔からのIOC(国際オリンピック委員会)のメンバーで、非常に人徳がある人がいたからね。これ以上突っ込むと、どろどろした部分があって。ただ、日本人はきれいごとばかり。表向きでいきなり会って「いやーお願いします」と。絶対あり得ない。だから人間関係をしっかり構築すれば、日本に投票する可能性が(ある)。
為末 そういうのに日本のアスリートって人材が少ないような気がしますけど。例えば引退した後にIOCに入ってきたり、スポーツの国際的舞台の外交をやってきたり、という選手が少ない。そういうものを目指す必要ってありますかね。
猪木 大事でしょうね。その中に入って知識を持ってね。やっぱり知識なしでアスリートが入ったって何もできないでしょうから。やはり語学は堪能になっていかないといけないでしょうね。せめて英語は。日本は何も手を打っていないでしょ。
為末 打ってないですね。僕らも引退する時に、そういう提示がないんですね。指導者という道は多くありますが。他国の委員と交流していくっていう選択肢はないんですね。
猪木 今、馳(浩)というのが、私の弟子なんですけど。彼が一生懸命出会って話をするっていうので、動いているんで頑張ってもらいたい。どの世界も裏と表があるという部分では、分かった上でね、出て行かないと、日本(の五輪招致)はたぶん難しいかな。
為末 何か大きな夢を持って、手段のところで多少、表と裏はあっても。一番高いところにある夢に向かって。
猪木 これまであまりオリンピック、ほとんど関係なかったんですけど。キューバからも賞状もらったりいろいろあるんでね。特にイスラム圏ですね。パキスタンがこの間、熱狂的に歓迎してくれたんで。これもオレの歴史があってね、昔エルワンというのを倒してたから。私は「モハメド・フセイン」っていうね、名前を付けられてるんですね。これイラクの人質の解放の時にカルバラというとこで名前をもらいました。「イスラムに入りませんか?」と言われて「入りません」とは言えませんから。羊用意してきて、白と黒はあなたに幸せを、あなたに幸福をって、やりました。まぁ、せっかくもらった名前ですから。
為末 猪木さんの名前が?
猪木 そうモハメド・フセイン。向こうではアントニオ猪木なんて面倒くさいんで。全部そうやってますけどね。そういうような私の持っている外交チャンネルをオリンピックでも生かせればいいかな。まぁ今回、予測では日本は厳しいでしょ、かなり。
為末 今、また猪瀬(直樹=東京都知事)さんの発言(※ライバル都市を批判したとされる問題)とかあって。
猪木 それに原発と放射能の問題と地震という。いろいろ表には出ないけど、裏ではあるわけでしょ。ただ2位に入ればね、逆転できる。どこがどう残るか分からないけど、とにかくどんな形でも3位ではカットですから。2位に残る形になれば、私の持っている。トルコを必ずしもイスラム圏が全部応援するか、と言えばそうではない。
為末 最後に、これまでいろんなことされてきましたが、これから先、どういう形で取り組まれていきますか? 先ほどおっしゃってたキューバとの国交、日本は比較的あるんですね、国交は。
猪木 そうです、日本とは。来年…、伊達政宗の銅像があるんですよね、400年。その銅像もあるんですよね。そういうような、本当にオレがつきあってる国はみんな結構、人間的にはいいですからね。
為末 これからは、じゃあいろんな国と交流を?
猪木 そうですね。インドとパキスタンという、いつも国境紛争が起きているところがあるんですけど、この間のタリバンの件も本当に、ワシントンポスト1面で抜いて記事を扱った。私の平和のメッセージが届いたんですかね。元々格闘技やレスリングは伝統的な文化がインドにはあるので。インドとパキスタンの国境でやりましょうかという話もあります。環境問題もひっかけてね。
この間ブラジルではジャングルファイトというね、10年前にアマゾンのジャングルの中でイベントをやった。それを10年やって積み重ねが残ってきましてね。今年がちょうと10年なんです。パキスタンとインドの国境でやるのとか、なんかそんな話ばっかりで。そういえばアフガンもあります。みんなレスリング好きですからね。ただ、いつも手弁当じゃあね。この間のパキスタンのイベントの時は、国交60周年で何もやってないから私がやろうってことでやりました。最初は外務省も乗り気になってたんですが、ただ、このペシャワールというところが一番悪いんですね。タリバンの巣窟。結局、何かあったら自分たちの責任になるということで手を引かれました。すべて、ことごとく。
役人さんが悪いってわけじゃないけどね。杉原千畝(ちうね=外交官、1900~86年没)さんという昔、ユダヤ人によくビザを出した人がいるでしょ。そういうような部分では、何か自分の使命をしっかり果たして欲しいですね。組織ですから、それを外れるわけにはいかないのかもしれないけど。外務省、あるいは大使館の検印が強いですから。私は逆に非常識。何も動かせない時には、我々だったら動かせるよって、やらせてもらえれば。
(おわり)