彼がメジャーリーグに挑戦することを決めた時、2人で話す機会があった。阪神を退団し、海を渡ることを決意した若い頃の藤川球児。夢を語り、新たな世界に挑む心意気を伝えてくれた最後、僕は「もう戻ってくることはないのか?」と尋ねた。
その時の返答は、本当にすごみがあった。「僕は高知生まれの男ですから」。これで十分。球児の熱さを改めて示してくれた。
故障などで苦しみ、志半ばで日本に戻ってきた。無念だっただろう。でも現役時代、球児の一本気な態度を何度も見てきた。岡田彰布が監督の時代。連投、連投で肩肘は悲鳴を上げかけていた。あれは神宮球場での試合後だった。「コラッ、岡田! 球児をつぶす気か」とのやじに岡田は激高。スタンドとグラウンドの間で騒然となった時、球児はスタンドに近づき「勝つために投げている。それだけなんだ」と、そういう意味の言葉を発し、ファンに訴えた。
2005年、優勝に近づいたナゴヤドームでの中日戦。審判のジャッジを不満として、岡田は選手をベンチに戻した。ベンチ前に審判が並び、試合続行を求めた時、まだ若かった球児は猛烈な勢いで、審判に詰め寄っていた。一線に出てまだ2年目だったが、こうと思えば突き進む。そんな「男」の性格を知った。
あれから20年近くが過ぎた。阪神の監督として戻ってきた。コーチ経験がなく、いきなりの監督就任を不安視する声もあるが、ぜひとも球児らしさを出した監督像を、僕は期待している。
「僕は男ですから」。そう、固定観念にとらわれぬ監督に。そういう楽しみを、球児に抱くことができる。
野球の王道を求めた岡田野球だった。投手を含む守りを基本とする岡田の考えは、球児にも受け継がれる。そこで投手陣の分担で、これまでのできあがった戦力から、若い力、未知の力を思い切って登用する。これができるのも球児の野球のはず。
攻撃ではさらに改革できるかもしれない。秋季キャンプの紅白戦で佐藤輝を1番、2番で起用した。常識的には考えづらい変化であるが、これを実践する思い切りが球児にはある。さらに今後の動向次第では大山がFA移籍する可能性も。そうなった場合、4番を森下に固定する。甲子園では「右の4番」が最適であり、それくらいのことを考えるのが、球児の感性…と僕はみている。
いずれにしても、球児らしい采配、男らしい挑み方が楽しみで仕方ない。そうそう、オーナー付顧問に就任した岡田はこう言った。「そんなもん、好きにやればいいんよ」と。とにもかくにも新監督には型にはまらない球児色を、いまから期待している。(敬称略、おわり)【内匠宏幸】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「岡田の野球よ」)
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コラム「岡田の野球よ」は今回で最終回になります。長らくご愛読いただき、誠にありがとうございました。