記者席で試合をみているだけでは、そこで起きていた「ドラマ」に気付くことはできなかった。
今夏の第106回全国高校野球選手権(甲子園)での大社(島根)対早実(西東京)との3回戦、2-2の同点で迎えた延長タイブレーク11回無死一、二塁。イニングが始まる前に大社の石飛文太監督(43)はベンチの控え選手を集めてこう話した。
「ここでバント決められる自信があるもの手をあげろ!」
大社OBによると、指揮官の常とう句という言葉に、今夏島根大会でも出場機会のなかった背番号12の控え捕手、安松がとっさに反応して手を挙げた。
「サード側に決めてきます!」
安松はバットを握りしめ、三塁側アルプス席からの地鳴りのような大応援を背に受けながら左打席に向かった。
「とにかく決めるしかないという気持ちでした。監督さんが信用してくださったので、そこは自信を持って。貢献するしかないと」
1ボールからの2球目、真ん中やや低めに来たボールに左膝を地面につけて目線を合わせ、三塁側へセーフティーバントを決めた。打球は三塁線に沿うようにして転がった。切れそうで切れない。三塁手が捕球してすぐに一塁へスローイングするも、安松は全力で一塁まで駆け抜け自らも生きた。
そして先発でマウンドを守り抜いてきた馬庭優太投手(3年)が打席へ。無死満塁、カウント2-1からの4球目、高めに浮いた球をはじき返し、打球は投手の股を抜けて前進守備の二遊間を突破。サヨナラ勝ちで激闘に終止符を打ち、93年ぶりの8強進出をたぐり寄せた。
勝機を引き寄せたバントは、気合、根性、集中力、努力、勇気、自信、勝ち運が凝縮された「1プレー」だった。ただ、締め切り時間にも追われていた私は快進撃の中心にいたエース馬庭の取材に熱中し、「安松の神バント」を紙面に載せることができなかった。今となっても後悔しかない。
高校野球史に語り継がれるであろう伝統校同士による壮絶な死闘。これは記者として取材しないと得られない情報を届けることの大切さをあらためて痛感したゲームでもあった。【アマチュア野球担当=古財稜明】