東日本大震災からおよそ1年たった12年3月21日、センバツ開会式。21世紀枠で選出された石巻工・阿部翔人主将(現日体大3年)が選手宣誓の大役を果たした。津波で被災した経験を踏まえながらのスピーチは、被災地のみならず全国に希望と感動を与えた。
- 12年、32校を代表して選手宣誓する石巻工・阿部翔人主将
自らの手で運命をたぐり寄せた。12年3月15日、組み合わせ抽選会。阿部は32分の1の確率を引き当てた。センバツ出場が決まった時点で、主将として宣誓文の原案を考えていた。
阿部 引いた瞬間、びっくりした。ウソかなと思った。僕が取ろうとしたくじが取られて、仕方なく取ったのが当たった。封筒の中をのぞくと「選手宣誓」の4文字がうっすら見えた。震災があって(甲子園に)出てきたのもあるし、僕らが(宣誓を)言ったらすごいんじゃないかと思っていた。冗談で準備したら、本当になった。
石巻市内にある阿部の自宅は1メートル90センチ浸水した。自らの体験をもとにした原案に、チームメートの思いを肉付けしていった。大阪市内の宿舎の一室にあったホワイトボードは、ナインの思いが込められた言葉で埋め尽くされた。
阿部 被災地の状況を伝えたかった。震災があってどのように思ったか、現状を伝えられればと思った。感動、絆、笑顔などの言葉を入れたかった。
体調不良で開会式前日のリハーサルを欠席。ぶっつけ本番で臨んだ。堂々と胸を張って、よどみなく宣言した。ナインの思い、被災地の思いを乗せた2分15秒のスピーチが甲子園、そして全国に響き渡った。
阿部 吐き気で前日は欠席した。深夜に吐き気がしておなかが下って、熱も出てびっくりした。本当に無理でした。当日は緊張してて(宣誓前の)高野連会長のあいさつは頭に入って来ませんでした。ぶっつけ本番では、びっくりするぐらい落ち着いてて、イメージ通りしゃべれた。自分で見返しても堂々と話していて、びっくりします。
- 12年、春1回戦のスコア
宣言通り、最後まであきらめない試合を展開した。神村学園(鹿児島)との1回戦は4回表の時点で0-4とリードを許していたが、その裏の回に底力を発揮した。阿部の一打を含む5安打を浴びせ一挙5得点で逆転。5回表に5点を奪われ5-9で敗れはしたが、意地は見せた。
阿部 試合はふわふわして、早く感じた。調子が良くて、声援に打たされた。勝って校歌を歌って、支援してくださった方、応援してくれた方に恩返ししたかった。夏絶対帰ってくるという気持ちになったけど、正直勝ちたかった。
夏は県大会の3回戦で東北に0-7の7回コールドで敗れ、甲子園に戻ることはできなかった。卒業後は元石巻工の野球部監督で、現在松島で教壇に立つ父克彦さん(50)の後を追った。野球の指導者を目指して父と同じ日体大に進学。来年の教育実習では母校に帰る予定だ。被災地から甲子園に出場した阿部じゃなければ、教えられないことがある。
- 石巻工から日体大に進学した阿部翔人
阿部 震災を通して思ったことを伝えたい。野球以前に、生活とか当たり前のことを当たり前にできるという環境に、まず感謝しなきゃいけない。甲子園が僕の財産というのは変わりない。僕も何かにつまずいたりとか、そういう状況になったときに、当時の思いを忘れないで、経験や思いを僕らの世代から発信して、伝えていきたい。(敬称略)【高橋洋平】
◆石巻工・阿部主将の選手宣誓全文 宣誓。東日本大震災から1年。日本は復興の真っ最中です。被災された方々の中には、苦しくて心の整理がつかず、今も当時のことや亡くなられた方を忘れられず、悲しみに暮れている方がたくさんいます。人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは、苦しくてつらいことです。しかし、日本が1つになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔。見せましょう、日本の底力、絆を。我々、高校球児ができること。それは、全力で戦い抜き、最後まで諦めないことです。今、野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。