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井上尚弥
Chapter3マッチメーク難航、切れた運命の糸…ただただ強い相手を求めた7度の防衛
衝撃的なKOで2階級制覇を果たした2014年12月30日のナルバエス戦。リングから降りた井上は、歓声に応えながら、右拳の痛みに耐えていた。一夜明けた大みそかは、WBA世界スーパーフェザー級王者・内山高志の試合を観戦するために大田区総合体育館を訪問。控室で内山の主治医に拳を見せると、手術の可能性が高いことを告げられた。
後日受けた精密検査の結果は、手首と手の甲をつなぐ右手中指骨の脱臼だった。だが、医師が勧める手術を即決することはできなかった。
「ごまかしながら、どうにか1試合できないかという考えが捨てきれず、すぐには手術に踏み切れませんでした。ナルバエス戦の勝ち方でせっかく期待が高まっているのに、手術をしたら1年試合ができない。当時は、まだまだ世間の評価も『絶対』ではなかったですし、あの試合がまぐれなのかとか、安定した目では見られていませんでした。だからこそ、次の試合が大事という思いが強かったんです」
左手一本でV1戦を乗り切れるのか。将来への影響、手術を受けた時のリスクは―。同じ手術を経験した内山にも相談した。3カ月悩み抜き、井上は完治の道を選択した。15年3月、初めて拳にメスを入れた。6歳でボクシングを始めてから初の長期ブランク。長い1年が始まった。
右手の手術
「携帯に入っているあのころの写真を見返すと、本当にその年にしかない写真が多いんです。水上バイクやウエークボードをしたり。ボクシングのことは考えてもイライラするだけですし、気持ちを切ろうと。あの時の感覚を言葉で表すのは難しいですが、あの1年は確実に今につながっているし、大切な時間だったと思っています」
術後パンパンに腫れた右手を見て、恐怖すら感じた。動かすと激痛が走り、多くの相手をキャンバスに沈めてきた右腕はみるみる痩せていった。練習を本格的に再開したのは試合3カ月前の15年9月。固まった手首をほぐしていき、痛みに耐えながら少しずつ骨に刺激を与えるところから復帰戦への準備が始まった。
12月29日、気温が下がり、冷え込んだ有明コロシアム。井上は1年ぶりにリングに戻った。積み重なった思いは一発一発のパンチに乗り移った。挑戦者パレナスを飲み込むかのような連打。2戦連続となる2回KO勝利で復帰戦を飾ると、リング上で言った。
「ボクシングって最高ですね。これからも誰の挑戦でも受けます ! 」。
キャリア最大の大けがを乗り越えた井上は、ここから7度の防衛を続けることになる。だが、リング上の言葉とは裏腹に、長期政権は「葛藤」の連続だった。
2015~2016 Super Fly Weight ( limit 52.1kg )
case4強くて名前がない
ボクシングの試合は、開催場所、時期、ファイトマネーなどの条件を両陣営が交渉して決まる。スーパーフライ級時代、井上の防衛戦の交渉は難航を極めた。名のある選手にオファーを出しても、返答はことごとく「NO」。ナルバエス戦のようなビッグマッチはなかなか実現しなかった。大橋会長は当時のマッチメークについてこう振り返る。
「思うような相手と試合を組めなかった理由は『今の尚弥』とは違うということです。実力は評価されていましたが、当時は世界的に名前があったわけではない。こっちがやりたくても、相手から見れば、『強くて名前がない選手』で、対戦するメリットが何もないんです。世界中から狙われる存在になった今とは違い、スーパーフライ級の時の交渉は本当に大変でした」
陣営が策を尽くし、考え得る「その時のベスト」の相手を選んでも、防衛戦は一方的な試合が続いた。ファンは圧倒的な試合に酔いしれたが、井上の満足度は試合を重ねるにつれて薄らいでいった。
「デビュー当時は、具志堅さんの防衛記録(13回)を塗り替えたいという目標を掲げていましたが、このころにはその思いは消えていました。ナルバエス戦がなぜ盛り上がったかと言えば、相手が強いからで、何度防衛とか、何階級制覇とか、そういうのではないなと。強い相手と戦いたいという思いだけがどんどん大きくなっていましたね」
WBO世界スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦
WBO世界スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦
WBO世界スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦
スーパーフライ級時代、井上が対戦を熱望した1人の選手がいた。6歳上で、ミニマム級からスーパーフライ級までの4階級制覇を達成したローマン・ゴンサレス。米国の専門誌「ザ・リング」が格付けするパウンド・フォー・パウンド(PFP)ランキングで重量級の選手を押しのけて1位の座を獲得したニカラグアの英雄だ。
そのゴンサレスが、2016年9月に井上と同じ階級のWBCスーパーフライ級王座を獲得したことで、ビッグマッチへの期待は一気に高まった。だが、両陣営の交渉に動きがでてきた17年3月、ゴンサレスがプロ47戦目でまさかの初黒星を喫し、運命の糸が交わることはなかった。
「今ほど自分から発信はしていませんでしたが、内心はやりたかったですね。あれだけの選手は出てこない。スーパーフライ級で、強い、全勝のロマゴンとやってみたかったですね」
2016.12.30 Super Fly Weight ( limit 52.1kg )
case5モチベーション
もどかしい防衛ロードが続いた。V4戦(16年12月)前には井上も動いた。サポートを受ける明治の村野管理栄養士の紹介を受け、面識のなかったWBC世界バンタム級王座を10度防衛した経験を持つ長谷川穂積氏が住む神戸を訪れた。
「長期防衛をされた長谷川さんに、モチベーションの保ち方を聞きたかったんです。自分が思うような相手と試合が決まらない状況で、何をモチベーションにすればいいのいか分からなくなっていました。ファイトマネーなのか、試合内容で見せることなのか。ただ、自分にとって、試合に必要な『気力』はそんなものよりはるかに大きい。明確な答えがすぐに見つかるわけはありませんが、話を聞いてすごく刺激を受けましたし、価値のある時間だったと思います」
ナルバエス戦の熱狂、拳を交えることができなかったゴンサレス。3年におよんだ王者の期間中に期待するビッグマッチは実現しなかった。だが、2人の存在は、井上の中の「強い相手と戦いたい」という欲求を浮き彫りにし、プロとして自身が目指す道を明確にした。
長谷川穂積氏との出会い
WBO世界スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦
スーパーフライ級での減量が苦しくなっていた背景もあり、陣営は2017年12月30日のV7戦後にバンタム級への転向を決断した。対戦相手に浮上したのが、10年間無敗のWBA世界バンタム級王者ジェイミー・マクドネル(英国)だった。
井上の思いを知る大橋会長は、「試合の実現が最優先。ファイトマネーもマクドネル側の提示額通り、ビジネスクラスの渡航、宿泊ホテルなど向こうが出してきた条件を全て飲みました。気が変わらないうちに、とにかくサインまでこぎつけようと。その思いだけでしたね」。
2018年5月25日。井上は、53.5キロの新たな舞台バンタム級で、3階級制覇に挑むことが決まった。2度目の階級変更。ここから、世界が「MONSTER」を知ることになる。
スーパーフライ級時代の食事(写真提供=明治)
計量後の食事(計量2時間後)