【ラグビー】雪の早明戦…スクラムで湯気「バックス見えなく」早大OB今泉さん明大OB吉田さん回想

伝統の「早明戦」が100回の節目を迎える。数々の名勝負の中でも、積雪と土壇場の激しい攻防があった1987年は「雪の早明戦」として語り継がれる。ともに1年生WTBとして出場していた早大OBの今泉清さん(57)と明大OBの吉田義人さん(55)が伝説の一戦を、振り返った。

87年12月6日。それぞれの寮で起きた2人は一面の銀世界に驚いた。早大では「中止だ。寝直せ」との声が上がった。当時の日本ラグビー界で屈指の人気カードを開催するため、他の大学の部員らも協力して国立で雪かきを実施。びっしりと埋まったスタンドから歓声が降り注ぎ、吉田さんは「鳥肌がぶわーっと立ち、武者震いした」と述懐する。国立の早明戦は満員が当たり前だった時代。この年は6万人を超える観客が詰めかけた。

前半は吉田さんが快足を飛ばして転がるボールを追い、雪が残るインゴールで押さえてトライ。7-7で迎えた後半は、滑らないようにキックを修正した今泉さんがPGを決め、早大が3点をリードした。明大の紫紺、早大の赤黒のジャージーは泥だらけとなり、白熱した展開が続いた。

そして最終盤。相手ゴール前に迫った明大は早大が反則しても同点PGを選ばず、逆転トライを狙った。代名詞の重戦車FWにこだわって攻め、吉田さんは「ボールが回ってこないから(試合の)途中からパスを呼ぶのをやめた」と明かした。

スクラムでは選手から湯気が上がり「(相手の)バックスの選手が見えなくなるほどだった」(今泉さん)。試合に出られない先輩たちの声が耳に届いた。「あいつが出て正解と思わせる責務がある」。気迫の守りで耐え、長いロスタイムの末、10-7のままノーサイドとなった。

卒業後、吉田さんは日本代表のトライゲッターとして活躍し、海外リーグにも挑戦。「早稲田と明治の魂が真っ向からぶつかり合った。その後のラグビー人生を歩む上で、すごく大事なことを教えてもらった」と感謝した。