楽天ドラフト1位の明大・宗山塁内野手(21)や西武2位の大商大・渡部聖弥外野手(22)の広陵(広島)時代の同期の1人が今年、一足早くバットを置く。
1982年(昭57)に新リーグ発足後、関西学生野球連盟史上初の春秋連覇に貢献し、発足前から合わせて65年ぶりの連覇を成し遂げた関学大の扇の要、永谷柊馬捕手(4年)だ。
11月上旬の明治神宮大会出場権を争う、関西選手権をもって野球人生に幕を閉じた。「運がよかった野球人生。いろんな巡り合わせに恵まれました」。広島育ちで文武両道を目指し、関学大の門をたたいた。高3の受験期はコロナ禍まっただ中。セレクションはなく、技術やプレーを集めた動画の提出や、小論文と面接を経て、スポーツ推薦で強豪野球部に入学した。
大学1年、4年で全国大会を経験。「1年は先輩は全国に行っていたけど、コロナで何度も練習が停止になって、制約も多くて…」。チーム事情をつかめない中、リーグ戦のベンチ入りへ努力を積み重ねた。
晴れて、2年秋にベンチ入り。しかし「『他大学には、関学から勝ち点とれるやろ』って思われることもあったんですよ。それってめちゃくちゃ歯がゆいし、悔しいと思っていた。幸い、僕らの同期は下級生から技術的な力があって、全員がチームのことを考えてくれた。みんなの足りないところ補う、そんな仲間に出会えてよかったですし、仮に連覇ができなくても、『関学に来てよかった』と思います」。
現在の軸になった考えは、謙虚な姿勢だ。中学時代は活躍を重ねていた。「当時は、僕よりうまいやつは、おらんやろって思っていたんですよね(笑い)。でも、きびしい広陵でうまい先輩や仲間に出会えて『こんなんじゃあかんな』って。レベルの高い仲間に出会えなければ、大学入学後に強豪校からやってきた子たちと、成長できる機会はなかったです」。
野球部の練習に並行して、一般企業の内定も勝ち取った。春からは、一般企業で会社員として勤務する。「就職のことも考えて、この大学を選んだので、就活もしっかりやりました」。内定直後には、社会人野球のオファーも受けていたが、「もう僕は決めていたので。3年秋から4年春にかけて、コンディションが悪い部分もあって、ストレスになっていたので大学で野球は辞めます」。
潔く、次の進路を選んだ永谷。次は、高校同期の宗山、渡部たちの晴れ舞台を応援する。「素直に彼らはすごいと思います。今からは、野球ファンとして彼らを応援するし、彼らなら活躍してくれます! 一生応援しますね」。
多くの人と交差してきた野球人生にそっと幕を閉じる。しかし、永谷は自身が大学野球の選手として歩んだ人生最後の大会後にもかかわらず、口にしたのは、周囲への感謝と尊敬。その思いやりが、かけがえのない仲間たちの新たな挑戦への揺るがない力になる。【中島麗】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)