「平成野球史」第3弾はパ・リーグを、野球界を変えた男、新庄剛志氏(46)の登場です。引退後、初めてというスポーツ紙の取材に応じ、阪神、米大リーグ、日本ハム時代のエピソード、当時の考え、今の球界に思うことまで、新庄流に楽しくぶっちゃけます。
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<取材後記>
プリンスと会うのは、12年ぶりでした。新庄さんとハグを交わしてから始まった取材は、まさに“ぶっ飛びインタビュー”になりました。
「取材する側」と「される側」の気持ちが合致するのは稀です。我々は勝負の中身を記事にしますが、選手の心根を書き尽くすのは極めて難しいからです。
阪神の中心選手は、常に取材攻勢にあい、不振に陥ると大バッシングです。なかでも新庄さんは、なにをやっても「1面」になる特異なキャラクターでした。
そのうちメディアとの会話が消えていきます。インタビューのなかでも「マスコミがおれをダメにしたよね」と語ったほどです。
野球人生の転機は、メジャー移籍です。手前ミソですが、彼は「おれが変わったの、寺尾さんだよね」と打ち明けます。
新天地には日本から連日60人もの取材陣が殺到しましたが、当の本人はしゃべらない。そこで、わたしは本人と向き合って、1日1回のオフィシャルな会見を約束させたのです。
最初は渋々でも、新庄さんが乗ってきた。そこにはもっとも信頼した新米通訳「ケン」の人柄に、日刊スポーツ田崎高広カメラマンの協力がありました。
「あっち向いてホイ打法!」「成功するまで日本に帰らない」「(捕手)ピアザをカラオケに誘った」…、新庄トークがさえまくって、徐々にメディアと打ち解けていくのです。
派手なパフォーマンスからとんでもない人物と思われますが、実は、真面目で、ピュアな人。阪神キャンプ取材の記事に、2人で海岸を散歩したエピソードが掲載されています。
話題は「恋愛」--。当時、ある女性と付き合っていた新庄さんは「おれって一途。だから毎日電話しなくちゃダメ。男はね、思いやりを大切にしなくちゃいけません」と語っている。
また、もっとも緊張してみえたのは、野球ではありません。シンガー・ソングライターの福山雅治を紹介すると、さすがにはしゃいで、打席に入るテーマソングが「桜坂」になったのです。
天真らんまんで、ストレートで、今でも光を放ち、オーラを感じるプリンスをインタビューしていると、球界のスター不在にも気付きました。
ディス・イズ・スター? 久しぶりに「シンジョー語」がフラッシュバックします。ご高覧いただければ幸甚に存じます。【寺尾博和】
- 自分自身の人生を爆笑トークで湧かせる新庄氏(撮影・浅見桂子)
◆新庄剛志(しんじょう・つよし)1972年(昭47)1月28日、福岡県生まれ。西日本短大付から89年ドラフト5位で阪神に入団。00年オフにFAでメッツ移籍。02年はジャイアンツで日本人初のワールドシリーズ出場。04年に日本へ復帰し、日本ハムに加入。日本ハム時代の登録名はSHINJO。06年に44年ぶり日本一に貢献して引退。ベストナイン3度、ゴールデングラブ賞10度。現役時代は181センチ、76キロ。右投げ右打ち。