人生において最も悔しいことは、全力を出せなかったり、挑みたいと思っているにも関わらず背を向けてしまうことだと思っている。
そして「自ら諦めた」という事実に気づいている時、とたんに自分が許せなくなる。ただそんな時、多くの人はその事実から逃げる。僕もまさにその1人だった。
悔しくて悔しくて、情けなくて…自分が許せなくなる。でもそんな自分を認めたくないから見て見ぬふりをする。ダサくて、情けなくて、男らしくない自分がそこにいる。
なぜ人は自分の弱さを見て見ぬふりするのだろうか。それはきっと自分の弱さという部分が「悪」と捉え「負」だと思い込んでいる。もっと掘り下げれば、一生懸命、その事象に対して本気で取り組んでいる自負があるかどうかを問われることになる。一生懸命やり切って、全てをかけたのに達成できなかった、到達できなかった自分が怖くて、一生懸命になれず100%コミットできない現実があるのだろう。そうなると人は他人に厳しくなり、批判や否定を繰り返す。世の中にはびこるアンチのほとんどが自分の人生に100%になれてない人たちだろうと僕は思っています。
そこにはどこかでアンチ行為をすることで自己肯定感を無意識に維持しているのかもしれない。人生は挑戦だ。挑戦なき人生は不安定で不安と心配がいつも押し寄せてくる。だから僕は思う、挑戦なき安定はないと。
そんな中で大切にしていることがある。それは自分の中の「得意」と「好き」をちゃんとカテゴライズしておくことだ。僕の中で「得意」と「好き」には明確な違いがある。これを理解しておくこと、深掘りしていくことで自分が何をどう使って挑めばいいかがわかる。
自分が自分の弱さから逃げ出さないためにも大切なこと。「得意」は即効性があり、即金力がある。自分がすぐにでも披露できることであり、自分の中では自信があること。それは幼少期からなのか最近なのかはその人によって違うが、自分が「得意」だと思う時点で成立するのだ。そこにはお金に変えられる力も備わっているので、打ち出し方や見せ方を工夫すれば必ずお金にできる。
一方で「好き」にはすぐにお金にはできないが持続性と継続力がある。誰に何を言われることなく自分が自分と向き合うことでずっと好きでいられるものやこと。そこには強制力も義務感もない。
そしてこのふたつには異なる伸ばし方がある。それは「得意」には磨く意識が必要で、「好き」には育てる意識が必要なことだ。得意は基本的には競争社会の中で必要な能力となるので、他人との比較になってしまう。そうなるととにかく研磨して向上させることが必要だ。気がつけばその分野の得意は若手が出てくれば出てくるほど、若手優位な状況がある。しかし、研磨して向上させることで、経験が幅をつくり、安心感を与えられるようになる。得意は職人とも言える妙技へと変えられるということだ。
その一方で「好き」は育てる意識が必要だ。好きは急に得意には変わらない。しかし誰よりも時間をかけることを厭わないし没頭できる。「好き」は時差でお金になる。そのかわり、育てる意識がないとその日はやってこない。「好き」は子育てと同じで、いかに愛情を注いで丁寧に育てられるかどうか。今を徹底的に大切にしていくときと、未来を見て厳しく向き合う時、その時々で対応を変えながら「好き」という思いを大切にすることが何より重要だ。
以前、マツコデラックスさんが、視聴者から「好きなことを仕事にできていいですね」と言われた時に、「せっかく好きだったおかまが仕事に変わった瞬間に嫌になったのよ」と怒っていた。その気持ちが今はよくわかる。自分の「好き」が世の中の求められる「好き」になった時に、自分の中では苦しくて仕方ない感情が生まれるが、現実はそう簡単にその状況を変えることを許してくれない。だからこそしっかり育てて世に出すタイミングさえもしっかり考えなければいけないのだ。
ただ「好き」は人と比べる必要もなく、競争の中に身を置く必要もない。自分がどれだけ好きなのか。時間をかけてじっくりいくことが大切で、もっと言えばお金にしようなんて思わないことの方が、結果的にお金になる。こうやってなんとなく理解していることを細部まで掘り下げて考えることで自分なりの「マップ」ができる。
挑戦できる人の要素に「勇気」があるが、それはマップがあることが重要なポイントだ、そのマップは「心の地図」と言えるくらい自分の中にしかない。どんな本を読もうが、どんな成功者に会おうが、その方々から繰り出される声や文字は全てその人の正解でしかない。僕らは僕ら自身の正解を自分の中から見つけ出し、それを自分の能力としてちゃんと言語化することが大切なんだ。
挑戦は無謀じゃない。挑戦は戦略力であり、自己内省力だ。そして最後は自分の弱さに勝てる勇気を持っている人が「挑戦者」として踏み出し戦い続けることができると僕は確信している。
◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。22年2月16日にRISEでプロデビュー。プロ通算3勝1分け3敗。175センチ