五輪取材歴28年の首藤正徳記者(51)がコラム「五輪百景」をお届けします。

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 ジャスティン・ガトリン(米国)にはまんまとだまされた。

 05年8月の陸上世界選手権(ヘルシンキ)男子100メートル決勝で、前年のアテネ五輪覇者だった彼は、2位以下を2メートルも引き離してゴールした。世界大会史上最大差の勝利だった。無限の輝きを放つ23歳を、観客は総立ちで祝福した。記者席で私は同じ熱を共有できたことに感謝した。

 当時、米国陸上界は100メートルの世界記録保持者モンゴメリが資格を剥奪されるなど、ドーピング問題で揺れていた。その年の9月、来日したガトリンを直接取材した。「薬とは無縁。私はカール・ルイスと並ぶ選手になる」と、一時代を築いたクリーンな英雄の名前を出して胸を張った。私は「ルイスを超える男」という切り口で記事にした。

 ところが、翌年、彼はドーピング違反で4年間の資格停止処分を受けた。裏切られたと思った。あのヘルシンキの至福の夜の記憶まで、黒い墨で塗りつぶされた。ドーピングは選手の健康を害し、フェアプレーの精神に反することで禁止されているが、私はこの時、1人の違反が大会そのものの記憶まで、一変させてしまうことを痛感した。

 リオ五輪開幕前にロシアの国ぐるみのドーピング隠蔽(いんぺい)が発覚した。しかし、国際オリンピック委員会(IOC)は、調査した世界反ドーピング機関(WADA)の「ロシア選手団の五輪参加拒否」の勧告に従わず、過去に違反していない選手などに出場の道を残した。不幸な負の印象のまま大会が始まる。もし、ロシアの選手がメダルを獲得したら、素直に拍手を送ることができるだろうか。

 そして、陸上男子100メートルには34歳になったガトリンが出場する。昨年の世界選手権で銀メダルを獲得した彼は、3連覇を目指すウサイン・ボルトの対抗馬と目され、世界注目の対決といわれる。しかし、もしガトリンが勝っても、私は手放しで祝福できない。心の隅に疑念がこびり付いているからだ。検査をクリアしても、検体は数年後にあらためて最新の検査法で再検査される。

 色眼鏡で見る五輪、心の底から共感できない五輪が始まる。【首藤正徳】