水面から空に向かって、脚が真っすぐに伸びる。一糸乱れぬ美しい一直線は、まるで芸術作品のようだった。2つの銅メダルを獲得したシンクロ日本代表の演技を見ながら、ふと思った。井村雅代ヘッドコーチ(HC)は芸術家なのだ。理想の作品に仕上がるまで、わずかなほころびも見逃さず、鋭いノミを入れ続ける。信念は寸分も揺らぐことがない。

 妥協なき作品づくりは、1日10時間以上にも及ぶという。土台となる基礎づくりには特に心血を注ぐ。鬼と化し、鋭利な言葉をモリのごとく水中にグサグサと突き刺さして、選手が抱える限界の網を、手荒く引っ張り上げる。その選手の腰には重りが巻かれていた。この風景、昭和育ちの世代にはどこか懐かしい。汗と涙の猛特訓の果てにメダルを手にしたマーメイドたちの姿が、「東洋の魔女」と重なって見えた。

 64年東京五輪で金メダルを獲得したバレーボール女子日本代表も、限界を超えた猛特訓で磨き抜かれた。大松博文監督の打つボールが嵐のごとく選手に襲いかかる。明け方まで続く妥協なき練習。選手の睡眠時間は3時間ほどだったという。休日は大みそかと元旦だけ。しごき、いじめの批判も浴びたが、「鬼の大松」は妥協しなかった。それが「東洋の魔女」の神話を光り輝かせた。

 井村HCと大松監督。2人に共通する「鬼」「スパルタ」のイメージは的外れではない。だが、その哲学の芯にあるのは「あの娘たちに何とかメダルを」の無言の愛ではなかったか。可能性の扉を開いてあげるために叱る。つまり愛あるスパルタ。東洋の魔女たちは監督こそ理想の男性だったと口をそろえる。リオ五輪のデュエットで銅メダルを獲得した2人から井村HCは「誕生日のお祝いに」とメダルを首にかけてもらった。「私に怒られてもよくついてきた」の井村HCの言葉に、決勝のソ連戦を前に大松監督が選手にかけた「ワシの言うことを聞いて、よく頑張ってくれた」の言葉を思い出した。

 大松監督の「オレについてこい」「なせば成る」は流行語にもなった。その指導哲学はスポーツ界にとどまらず、社会にも広がった。「アタックNO1」「サインはV」「柔道一直線」といったスポ根漫画が一大ブームとなった。いずれも猛特訓に耐え抜いた主人公が、頂点をつかむストーリーだ。教育ママが列島にあふれ、高度経済成長期の企業戦士の育成にもスポ根が利用された。そして、誤解した愛のない指導者たちの「体罰」や「パワハラ」が社会問題にもなった。

 リオ五輪でシンクロ日本を復活させたことで、井村HCの指導哲学が脚光を浴びている。ただ「愛あるスパルタ」は誰もが実践できるものではない。選手の限界点を見極める眼力と、強い信頼関係と覚悟があってこそ力を発揮するのだ。この「井村式」が半世紀前と同じように平成の社会に広がったらどうなるだろう。考えると少し怖い。【首藤正徳】