- 15年11月、カンボジア戦で本田(左)のゴールをアシストしガッツポーズする藤春
<手倉森JAPANリオで金託された18人(3)>
工場が立ち並ぶ物作りの町、東大阪市。G大阪DF藤春広輝(27)の練習場はその一角だった。小学校から帰ると、母洋美さんの実家の工場「宮川シール」へ一目散。父末広さんが勤めており、背中を見ながら工場でボールを蹴るのが日課だった。練習相手は父の同僚だが、大人にボールを奪われてはすぐに泣き、あだ名は「泣き虫ヒロ君」。
最初の挫折は小6の時。G大阪ジュニアユースの最終選考に残った。工場での“特訓”で自信はあった。郵便受けに入っていた最終通知。マンションの廊下を走りながら開封したが、結果は落選。「落ちたわ…」。ショックは大きかったが、立ち直らせたのは「好きなようにやっていいよ」という父の口癖だった。その一言があったからサッカーを続けた。
しかし生活は突然変わる。東海大仰星高3年時に父が拡張性心筋症を発症。東海大進学が決まっていたが母に「大阪に残って」と頼まれ、急きょ大体大に進路変更。在学中は深夜にこっそりコンビニで働いた。練習後の疲れている体で生活費を捻出。涙はもう流さない。父と約束した好きなサッカーを続けるため、一人前の男に成長を遂げた。
最愛の父は大学4年時の10年7月9日に他界。あれから6年がたち、日本代表の一員としてW杯予選に出場するまでになった。昨年11月17日、W杯アジア2次予選カンボジア戦。左クロスでFW本田のゴールをアシストした。得点後、本田と抱き合った。その写真が始まりの場所である工場に飾ってある。次は、メダルとともに汗とうれし涙が詰まった五輪の写真を掲げたい。【小杉舞】
◆藤春広輝(ふじはる・ひろき)1988年(昭63)11月28日、東大阪市生まれ。大阪・東海大仰星高から大体大を経て11年にG大阪入り。J1通算118試合2得点。日本代表はハリルホジッチ監督の就任初戦となった15年3月のチュニジア戦でデビュー。国際Aマッチ通算3試合無得点。50メートル5秒8。愛称は「ハル」。175センチ、60キロ。