【元木大介】独断の盗塁死に見た才能「絶対プロに行け」/近大前監督・田中秀昌〈1〉

アマチュア球界を代表する指導者の1人だった田中秀昌氏(67)が、昨年の関西学生野球秋季リーグを最後に近大の監督を退任しました。1985年に母校・上宮(大阪)のコーチに就任し、その後監督に。東大阪大柏原、大学の母校・近大でも監督を務めました。約40年にも及ぶ指導者人生で多くの才能を見いだし、次代の野球人を育て上げました。その中から元巨人元木大介(52)、元広島黒田博樹(49)、元ヤクルト三木肇(46)、ロッテ石川慎吾(30)、阪神佐藤輝明(25)ら5人との出会い、見守った成長の日々、エールを紹介します。

高校野球

◆元木大介(もとき・だいすけ)1971年(昭46)12月30日、大阪府生まれ。上宮から89年ドラフト1位でダイエーに指名されるも、拒否して1年浪人。90年ドラフト1位で巨人入団。05年に現役引退。野球評論家をへて、18年オフに内野守備兼打撃コーチとして巨人に復帰。昨年まで1軍ヘッドコーチなどを歴任。通算成績は1205試合で打率2割6分2厘、66本塁打、378打点。右投げ右打ち。


◆田中秀昌(たなか・ひでまさ)1957年(昭32)3月16日、大阪府生まれ。上宮から近大に進学し、4年時は野球部学生コーチ。卒業後は府議会議員の秘書を6年務める。85年に上宮の学校職員になり、野球部コーチに就任。91年に同校社会科教諭になり、同8月から監督に。93年にセンバツ優勝。96年に明治神宮大会優勝。03年に柏原(現東大阪大柏原)の監督に就任し、11年夏の甲子園に出場した。14年4月1日に近大野球部監督に就任し、関西学生野球リーグを5度制覇。18年明治神宮大会4強。23年秋の指揮を最後に勇退した。24年4月26日付で日本高野連の技術振興委員に就任した。

指揮官を怒らせた1年生元木のプレー

1本の電話がきっかけだった。

1985年から母校、上宮のコーチを務めていた田中のもとに、少年野球に携わる知人が「いっぺん見に来たらどうや」と連絡をくれた。

それが、のちに「甲子園の申し子」と呼ばれ、巨人でも活躍する元木大介との出会いだった。

田中が向かった先は、ボーイズリーグのジュニアホークス練習場。

そこで見た才能に一目ぼれした。

「めちゃめちゃ野球センスある子やなと。それが第一印象でした」

すでに元木は、多くの高校から注目される有名選手。チームはPL学園に行かせたがっている…。

そんなうわさも流れた。

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古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。