【三木肇】「何やってんだぁぁあ!」名物スカウトの怒声/近大前監督・田中秀昌〈3〉

アマチュア球界を代表する指導者の1人だった田中秀昌氏(67)が、昨年の関西学生野球秋季リーグを最後に近大の監督を退任した。1985年に母校・上宮(大阪)のコーチに就任し、その後監督に。東大阪大柏原、大学の母校・近大でも監督を務めた。約40年にも及ぶ指導者人生で多くの才能を見いだし、次代の野球人を育て上げた。その中から元巨人元木大介(52)、元広島黒田博樹(49)、元ヤクルト三木肇(46)、ロッテ石川慎吾(30)、阪神佐藤輝明(25)ら5人との出会い、見守った成長の日々、エールを紹介する。

高校野球

◆三木肇(みき・はじめ)1977年(昭52)4月25日、大阪府生まれ。上宮から95年ドラフト1位でヤクルト入団。プロ13年間で通算359試合、2本塁打、14打点、打率1割9分5厘。09年から日本ハム内野守備コーチなどを務め、15年ヤクルト1軍作戦兼内野守備走塁コーチ、16年同ヘッドコーチ。19年に楽天2軍監督。20年に同1軍監督を務める。21年から再び2軍監督に就任。現役時代は180センチ、75キロ。右投げ両打ち。


◆田中秀昌(たなか・ひでまさ)1957年(昭32)3月16日、大阪府生まれ。上宮から近大に進学し、4年時は野球部学生コーチ。卒業後は府議会議員の秘書を6年務める。85年に上宮の学校職員になり、野球部コーチに就任。91年に同校社会科教諭になり、同8月から監督就任。93年にセンバツ優勝。96年に明治神宮大会優勝。03年に柏原(現東大阪大柏原)の野球部監督に就任し、11年夏の甲子園に出場した。

今年4月26日付で日本高野連の技術振興委員に就任した。

名将との最悪の出会い

1946年の創部以来、上宮硬式野球部は多くの卒業生を日米プロ球界に送ってきた。

阪神、中日で名参謀と呼ばれた一枝修平や西武の2軍監督や編成部長を務めた片平晋作ら指導者も輩出。

2020年には同校初のNPB球団監督が生まれた。

楽天の三木肇だった。

楽天監督就任会見に臨んだ三木肇=2019年10月14日

楽天監督就任会見に臨んだ三木肇=2019年10月14日

田中と三木の出会いは、浜寺ボーイズの練習グラウンド。

上宮OBが「いい選手がいる」と伝えてきたのがきっかけだった。

練習を見てみれば、確かにうまい遊撃手だった。

だがそれ以上に田中の心をとらえたのは立ち居振る舞いだった。

「この子、ええ子やなと思ったのは、負けた試合のあと。道具運びから自分らが使った場所の掃除を、率先してやっていた。人間的にいい子やなと思いました」

他校も三木に注目していたが、本人は希望進路に上宮を選んだ。

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古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。