【C大阪】27年在籍の監督・小菊昭雄さん30日鹿島戦がホーム最後の雄姿 来季は鳥栖で新たな挑戦

  • 21年、監督就任直後に愛犬メリーちゃんと記念撮影するC大阪小菊監督(本人提供)

セレッソ大阪監督の小菊昭雄さん(49)は、3年半務めた監督の職を今季限りで退き、一筋27年在籍したクラブを去る。Jリーグで選手経験のない「日本のモウリーニョ」と期待された指揮官は、多くの成功と失敗を重ね、来季はJ2に降格するサガン鳥栖の監督に就任する。初めて外の世界に飛び立つ小菊さんの横顔に迫った。

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小菊さんは昨年12月、2週間の日程でイングランドに足を運んだ。三笘薫が所属するブライトン、アーセナルなど各クラブの練習やリハビリ施設を見学。C大阪から欧州移籍したコベントリーの坂元達裕とは現地で旧交を温めていた。

サッカーが好き、人が好き。まっすぐな性格の持ち主は、常に前向きな思考と姿勢で生きてきた。

愛知学院大を卒業し、アルバイトで入団したC大阪には27年も在籍した。そのうちトップチームでのコーチは約15年。途中で他クラブから要職での誘いを受けたが、断り続けた。自らを育ててくれたC大阪が大好きだった。

監督に就いて3年半。21、22年はルヴァン杯で連続準優勝。クラブ設立30周年の今季はリーグ初優勝の目標を掲げ、その可能性がほぼ消えた9月の神戸戦後、クラブに自ら退団の意思を伝えた。監督に就いた21年8月から、職を退く時はクラブを去ると決めていた。自ら甘えを排除し、逃げ場をつくらなかった。

同じ大阪市此花区の舞洲に練習拠点を持つ、プロ野球オリックスの中嶋聡監督が10月、就任4年目の今季限りで辞任する際、その理由をコメントした。

「僕は責任という言葉をよく使っていた。こっちに責任があるから思い切ってやってくれと」

「今まで通りやっても、人って慣れるじゃないですか。その慣れという部分の方が、今年はより強く出てしまったのかなと」

小菊監督も3年半をトータルした「責任」と、選手の「慣れ」を感じていた。中嶋監督の苦悩に共感できることは多かった。辞めることに迷いはなかった。

J1で典型的な中規模クラブのC大阪で、リーグ戦は22年が5位、23年は9位、24年は現在7位。与えられた戦力で目いっぱい、指揮を執り続けてきた。

ただ、優勝に導けるまでの監督力は、3年半では身につかなかった。だから、未知の世界へと飛び立つ。他のJ1クラブの誘いを断り、ゼロベースからチームをつくれる鳥栖には、J2とはいえ、無限大の魅力を感じている。

森島寛晃社長は「小菊監督にはいつか、帰ってきてほしい」と言い、伝え聞いた小菊さんも「セレッソへの恩義は忘れません」と返す。第2次小菊セレッソは近い将来、かなりの確率で誕生するだろう。

30日の鹿島アントラーズ戦は、今季のホーム最終戦になり、ヨドコウでは小菊さんの最後の雄姿になる。試合後、サポーターへ感謝の思いを述べる卒業式が待つ。11年もホームで負け続けた鹿島に勝ち、今年は封印してきた「みんな最高オウ!」と叫ぶ小菊さんの姿が見てみたい。【横田和幸】

○…小菊家で暮らしていたトイプードルの愛犬メリーちゃん(メス)が、昨年4月25日に15歳7カ月の生涯を終えた。晩年は壮絶な闘病生活で、覚悟はしていたという小菊さん。それでも最期は涙が止まらなかったという。広島との22年ルヴァン杯決勝。優勝目前の最後に悪夢の逆転負けを喫した翌日、視力がほとんどなかったメリーちゃんは、落ち込む小菊さんのそばを離れなかったという。「さみしさは残るけど、僕ら家族も前進していかないといけない」。新天地でも、天国のメリーちゃんが応援してくれるはずだ。

◆小菊昭雄(こぎく・あきお)1975年(昭50)7月7日、神戸市生まれ。滝川二、愛知学院大を経て、98年C大阪下部組織のコーチにアルバイトで入団。スカウト時代に発掘した香川を06年に入団させ、同年以降は主にトップチームでコーチを務め、21年8月に監督に昇格。21、22年とルヴァン杯は連続準優勝。監督としてJ1通算47勝29分け41敗。179センチ、70キロ。趣味はランニング。家族は夫人と1男。