第3回フランス大会
やっと返上、弱いブラジル
南米のほとんどの国がボイコットする中、ブラジルが予選なしで出場した。ちなみにアメリカ大陸からは中米のキューバも本大会に臨んだが、こちらも辞退国が相次ぎ予選は戦わなかった。
当時のブラジルは、ウルグアイ、アルゼンチンに比べるとまだ格下の存在だった。サッカーの普及がやや遅れたことが原因で、W杯は第1回から参加していたものの、1次リーグ敗退、1回戦敗退と、いいところなく敗れ去っていた。
だが、このフランス大会では1回戦でポーランドを延長6?5で破って初戦を突破。準々決勝ではチェコスロバキアを再試合の末に2?1と下し、4強入りした。準決勝では優勝したイタリアに1?2と敗れたものの、3位決定戦でスウェーデンに4?2と快勝。FWレオニダスがエースとして、再試合を含む4試合(準決は不出場)で8得点を挙げて得点王に輝いた。
ただし、チェコスロバキア戦の最初の試合はW杯史上に残るせい惨なものとなった。試合開始からブラジル選手が意味不明の暴力行為に出て、両チーム合わせて3人が退場処分。チェコスロバキアは1人が足、もう1人が腕の骨を折られた。
このときのブラジルは、ほかにも理解に苦しむ行動をとっていた。チェコスロバキアとの再試合では勝利を確信していたのか、エースのレオニダスを除くほとんどのレギュラーを温存。ひと足早く2日後の準決勝会場に向かわせていた。この作戦は奏功したものの、逆に準決勝ではレオニダスを使わず、イタリアに敗れた。
とはいえ、この大会で3位に入ったことでブラジルがサッカー一流国としての地位を築いたことは確か。結果的に第4回大会開催(といっても12年後だが)の栄誉も手にした。