第14回イタリア大会
ひとりぼっちのマラドーナ
86年が「いいマラドーナの大会」なら、90年は「悪いマラドーナの大会」だった。神の手ゴールや5人抜きなどでアルゼンチンを86年メキシコ大会の優勝に導いたマラドーナは、連覇を目指してイタリアに乗り込んだ。いや、当時はナポリで活躍していたから「準地元」大会とも言えた。
しかし、ナポリの英雄もイタリアでの評判は決して良くなかった。特に、ナポリにセリエA優勝をさらわれたACミランやユベントスなどの北部では最悪だった。開幕戦でアルゼンチンがカメルーンに敗れた時、ミラノ市民は大喜びした。
アルゼンチンのキャンプ地は、ローマ郊外のトリゴリアにあった。セリエAローマの練習場だ。入り口を入ると、クラブハウスの裏側がグラウンド。マラドーナは家族や友人ら常に十数人に囲まれながら行動していた。報道陣は、近寄ることさえできなかった。
その表情は日増しに険しくなる。準決勝でイタリアを破り、国民すべてを敵に回した。直後には弟のラウルが無免許運転で捕まるスキャンダルも起きた。地元紙は大々的に報じ、マラドーナを攻撃した。もう、味方は1人もいなかった。
小柄で人のいい父ディエゴさんは、練習する息子を見ながら言った。「彼は誰からも認められるアルゼンチンの英雄だ。もう、私だけの息子じゃない。でも、本当は彼も寂しいはずさ。活躍すればするほど、孤独なんだよ」。決勝戦、西ドイツに敗れてマラドーナは泣いた。駆け寄るチームメートはいなかった。偉大すぎる英雄は、7万大観衆の中で、1人ぼっちだった。【90年大会取材・荻島弘一】