第15回米国大会
激しい日韓招致バトル
「サッカー不毛の地」といわれた94年米国大会が盛り上がる中、02年大会の招致合戦もヒートアップしていた。
前年「ドーハの悲劇」で、あと1歩で初出場を逃した日本は開幕前には招致委員会が、FIFA総会が行われたシカゴのホテルでアピールブースを設営。航空会社女性客室乗務員のアシストを受けながら、Jリーグ川淵三郎チェアマン(当時)らが前年に開幕したJリーグ各クラブの旗を並べ、熱心に招致活動を行った。その隣の部屋では前年に立候補の意向を表明した韓国が、日本に負けじと招致活動を展開。若くて美しい客室乗務員を動員し、派手なアピールで対抗した。
アジア初のW杯開催をめぐって日韓両国の「場外バトル」は大会中続いた。各国、各大陸連盟関係者、FIFA理事との食事会など、激しいロビー活動では韓国に勢いがあった。決勝を前にした7月16日には、ロサンゼルスのホテルに英国人ボビー・チャールトン氏を招いて日本が記者会見を開いた。その情報を事前にキャッチした韓国は翌17日にレセプションを開き、出席したFIFAアベランジェ会長、IOCサマランチ会長に韓国開催を訴えた。
2年後の開催地決定へ日韓が競い合う中、両国の懸け橋となったのが韓国代表MF盧廷潤(当時広島)だった。「韓国代表だから、まず韓国のために一生懸命やる。次にJリーグを代表して来ているのだから、日本で応援してくれているファンに恥ずかしくない活躍をしたい」。チームは2分け1敗で1次リーグ敗退、自身も2試合に出場しながら不完全燃焼の内容に終わった。しかし、盧の存在は間違いなく、両国バトルの一服の清涼剤だった。【94年大会取材・岡本学】