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歴代上位進出チーム

回(年)
開催地
優勝 準優勝 3位 4位
第19回(2010年)
南アフリカ
スペイン オランダ ドイツ ウルグアイ
 スペインが延長後半11分、イニエスタの決勝ゴールでオランダを1-0で破り、13度目の出場で初優勝を飾った。アフリカ大陸で初めて開催された大会は、南アフリカの楽器ブブゼラの音も注目を集めた。得点王のフォルランがMVPも受賞した。
第18回(2006年)
ドイツ
イタリア フランス ドイツ ポルトガル
 ジダン率いるフランス対堅守で勝ち上がったイタリアの決勝戦は1-1のまま延長戦に突入。延長後半5分、イタリアDFマテラッツィに頭突きのジダンが退場処分。同点のまま迎えたPK戦を制したイタリアが24年ぶり4度目の優勝を達成した。MVPはジダンが受賞。
第17回(2002年)
日本・韓国
ブラジル ドイツ トルコ 韓国
 史上初となるアジアでのW杯は、日本と韓国の共同開催となった。日本はベスト16、韓国は4位と大健闘。ブラジルが、得点王に輝いたロナウドらの活躍で、5度目の優勝を果たした。ドイツのカーンが、GKとして初のMVP受賞。
第16回(1998年)
フランス
フランス ブラジル クロアチア オランダ
 日本は初めて本大会に出場したが、1次リーグ3戦全敗。地元フランスが前回優勝のブラジルを破り、初優勝した。大会7試合を通じて2失点は過去最少。初出場のクロアチアが3位と健闘し、FWスーケルが通算6ゴールで得点王を獲得した。
第15回(1994年)
米国
ブラジル イタリア スウェーデン ブルガリア
 ロマーリオ、ベベトらのブラジルが24年ぶりの優勝を勝ち取り、興奮に包まれたサッカー王国では、約30人の市民が騒ぎに巻き込まれて死亡。米国戦でオウンゴールを入れたエスコバル選手(コロンビア)が祖国に帰国後、射殺された。
第14回(1990年)
イタリア
西ドイツ アルゼンチン イタリア イングランド
 カメルーンが開幕戦でアルゼンチンを下して8強入り。初めて3大会連続決勝進出を果たした西ドイツが、前回Vのアルゼンチンに借りを返す形となった。MVPは主将のマテウスが獲得。
第13回(1986年)
メキシコ
アルゼンチン 西ドイツ フランス ベルギー
 マラドーナが準々決勝のイングランド戦で、自陣から6人抜きで決めた得点は「史上最高のゴール」として伝説となる。決勝でも、ブルチャガへの絶妙パスを出し、MVPとなった。
第12回(1982年)
スペイン
イタリア 西ドイツ ポーランド フランス
 マラドーナ(アルゼンチン)がデビューしたが、退場処分を食うなど若さを露呈。イタリアがジーコ、ファルカン、ソクラテスら黄金の中盤を誇るブラジルを破り、優勝した。ロッシがMVPに。
第11回(1978年)
アルゼンチン
アルゼンチン オランダ ブラジル イタリア
 オランダを下して地元Vのアルゼンチンは、エースのケンペスが得点王、MVPに輝いた。日本で録画中継(決勝は生)が始まる。
第10回(1974年)
西ドイツ
西ドイツ オランダ ポーランド ブラジル
 ベッケンバウアー主将率いる西ドイツが、クライフを擁するオランダを下して地元V。
第9回(1970年)
メキシコ
ブラジル イタリア 西ドイツ ウルグアイ
 過去2度優勝同士の決勝は、ブラジルがペレ、ジャイルジーニョらのゴールにより、4−1でイタリアに快勝。3度の優勝を果たしたブラジルは優勝カップ、ジュール・リメ杯永久保持の権利を獲得した。
第8回(1966年)
イングランド
イングランド 西ドイツ ポルトガル ソ連
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)がイタリアを破ってアジア初勝利をマークし、8強入り。決勝初の延長で、バーから真下に落ちたイングランドの「疑惑のゴール」にベッケンバウアーを擁した西ドイツは落胆。
第7回(1962年)
チリ
ブラジル チェコスロバキア チリ ユーゴスラビア
 地元チリが3位に食い込む健闘。ブラジルは、ペレが予選リーグで負傷しながらも連覇。
第6回(1958年)
スウェーデン
ブラジル スウェーデン フランス 西ドイツ
 ブラジルのペレ(当時17)が、スウェーデンとの決勝での2点を含む6ゴールで鮮烈デビュー。史上最年少の優勝選手となった。
第5回(1954年)
スイス
西ドイツ ハンガリー オーストリア ウルグアイ
 FIFA創設50周年。日本も予選に初参加したが、韓国に屈した。V候補ハンガリーが西ドイツとの決勝で、2−0とリードしながら、2−3で逆転負けした。
第4回(1950年)
ブラジル
ウルグアイ ブラジル スウェーデン スペイン
 決勝(マラカナン・スタジアム)には20万人が集まった。地元ブラジルがウルグアイに逆転負けし、自殺者が出る騒ぎに。
第3回(1938年)
フランス
イタリア ハンガリー ブラジル スウェーデン
 イタリア連覇に貢献したジュゼッペ・メアッツァの名は、ACミランとインター・ミラノのホームスタジアム名として残る。
第2回(1934年)
イタリア
イタリア チェコスロバキア ドイツ オーストリア
 初めて予選を実施。世界の地域割りが行われ、関心が一気に高まった。
第1回(1930年)
ウルグアイ
ウルグアイ アルゼンチン 米国
ユーゴスラビア
対象チームなし
 第3代FIFA会長ジュール・リメ(フランス)の尽力で初開催。予選なしだったが、申し込んだのは13カ国だけ。















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