元G大阪の岡村宜城監督「制約かけない」スタイルで新潟産大を全国初出場に導く

  • パスワークの練習で選手にアイデアを伝える新潟産大・岡村監督(右)(撮影・小林忠)
  • パスワークの練習で選手にアイデアを伝える新潟産大・岡村監督(右)(撮影・小林忠)
  • 練習開始前に選手を集めて指示を出す新潟産大・岡村監督(中央)(撮影・小林忠)
  • パスワークの練習で選手にアイデアを伝える新潟産大・岡村監督(中央)(撮影・小林忠)
  • パスワークの練習で選手にアイデアを伝える新潟産大・岡村監督(右から2人目)(撮影・小林忠)
  • 作戦ボードを使いながら選手に指示を出す新潟産大・岡村監督(中央)(撮影・小林忠)
  • 岡村監督のもと朝6時半から練習を行う新潟産大(撮影・小林忠)
  • 朝6時半、新潟産大は夜明けとともに練習を開始(撮影・小林忠)
  • 朝6時半、新潟産大は夜明けとともに練習を開始(撮影・小林忠)
  • 空に月が残る朝6時半に新潟産大は練習を開始
  • 入団会見で記念撮影におさまる(前列左から)塩谷伸介、アントネッティ監督、柳本啓成、朝比奈伸、(後列左から)山口伸一、大黒将志、阿江孝一、岡村宣城、藤田聡、二川孝広(1999年2月1日撮影)
  • 入団会見で記念撮影におさまる(前列左から)塩谷伸介、アントネッティ監督、柳本啓成、朝比奈伸、(後列左から)山口伸一、大黒将志、阿江孝一、岡村宣城、藤田聡、二川孝広(1999年2月1日撮影)

元Jリーガーの岡村宜城さん(47)が、新潟産大サッカー部の監督就任11年目の今季、北信越大学リーグ1部で初の3位と、7日に全国各地で開幕する全日本大学選手権(インカレ)初出場に導いた。ガンバ大阪などでプレーし、指導者転向後、和歌山・初芝橋本高の全国総体準優勝、大阪・関西大のインカレ制覇に貢献し、14年に新潟産大の監督に就任。活動を開始した当初は部員が11人そろわないゼロからの挑戦だったが地道に強化を進め、全国出場という1つの目標を達成した。【取材・構成=小林忠】

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新潟産大の練習は早朝6時半にスタートする。冬はつま先までキンキンに体が冷え、選手たちは白い息を吐きながら口々に「寒すぎ」と愚痴をこぼすが、ボールを追う表情は明るい。「なんだかんだいいながら、やる時はやるんすよ」と笑顔で選手を見つめる岡村さんは監督就任11年目の今季、チームを北信越大学リーグ1部で最高成績の3位に導き、インカレ初出場をたぐり寄せた。

「新潟医療福祉大さんが夏の総理大臣杯で準優勝したおかげで北信越の出場枠が広がると思い『ワンチャンあるやん』と。最後は2連勝。選手がよく頑張ってくれました」

戦術要素にいくつかの約束事を決めながら、選手個々の持ち味や判断を尊重するサッカーを展開する。

「プレー強度、攻守の切り替えなど譲れない部分はあるし(試合プランは)10あるうちの6ぐらいは提示する。あとの4は自分たちで判断すりゃいいよ、ロボットじゃないんだからよって(笑い)。自分の発想を大事にしてほしいので」

サッカーはやらされるものではなく、自ら考えアクションを起こすもの。自由度は高い。

「FWが何回もオフサイドになり『なにやってんねん』といったら背後へのアクションを止めてしまう。ウチは10回やって1回成功したらナイスって。そういう発想。指導者が制約をかけたら何かに突出したバケモンみたいな、下手やけどえぐいヤツは生まれない」

選手にはフラットに接し、意見交換しながらチームマネジメントする。ピッチにはポジティブな声掛けが響き渡る。

「ここ3年で指導スタンスを変えました。『なんでやねん』『そんなこともできへんの』と奮い立ってくれればと思ってたけど、それではあかんなと。ピッチでもそうだけど人生はうまくいかないことが多い。その時にどういう行動を起こすかが大事だよね、つながるよねって。指導者も日々、アップデートしないと」

強豪チームから選手は集まらない。スカウト活動も各県の下部リーグが中心。それでもMF藤本千輝(3年)がJクラブの練習に参加するなど、力を伸ばす。

「プロ輩出は目標の1つ。でも、サッカーを通して人間的に成長してほしいところが一番。ピッチ内外で人を助ける、問題を解決する部分は社会に出た時に必ず役立つと思います」

選手時代は高校サッカーの名将、故小嶺忠敏さんのもと長崎・国見でプレー。3年時には主将で背番号10をつけ、1学年下のFW船越優蔵(47=U-18、19日本代表監督)を操った。関西大卒業後、99年からG大阪に3年間在籍。その後はJFLの佐川急便大阪SCで活躍し、04年に現役を引退した。

「小嶺先生からは多くの事を学ばせていただき、今の指導につながっている部分は多いですが、やってるサッカーは国見っぽくないって周りからよくいわれます(笑い)。攻撃的MFでしたが、ガンバではボランチ、サイドバックもしました。サッカーに関してはプライドを持っていますが、だからといって偉そうにしようとは思いません」

指導者に転向した05年、Jリーグキャリアサポートセンターの紹介で初芝橋本高の監督に就任。ポゼッションスタイルを浸透させ、06年に全国総体準優勝。母校の関西大コーチを務めた10年にはインカレ優勝を経験した。新潟産大の監督に就任したのは14年。しかし当初は部員がそろわず、苦労も多かった。

「ユニホームもボールもなく、部員は7人。大学の名簿を見てサッカーをかじっていたバスケ部や卓球部の子に『立ってるだけでいいから』とお願いして試合だけ来てもらう。だけど、GKがシュートをトンネルしちゃったり(笑い)。2年目でやっと11人に。今までもこれからも地道に時間をかけながらコツコツとやるしかないです」

岡村監督のポジティブ思考に導かれながら新潟産大はもっと強くなり、歴史を塗り替えていく。

「指導者は難しい。ある程度こっちの(やりたい方向に)誘導せなあかんけど、やっぱりそこに結果が伴わないと『あいつのいっていること全然やった』ってなるし。そこら辺は難しいし、楽しさでもあるし。面白いですよ」

◆岡村宜城(おかむら・よしき)1977年(昭52)3月21日生まれ、山口県出身。平生中でジュニアユース代表候補。長崎・国見高では全国選手権優勝。全国総体準優勝。3年時は主将で背番号10を背負う。U-17日本代表。関西大ではリーグベストイレブン、関西学生選抜、全日本大学選抜。G大阪(99~01年)ではカップ戦2試合出場。佐川急便大阪SC(02~04年)でJFL優勝。指導歴は初芝橋本高監督、関西大コーチ、14年から新潟産大監督。