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紙面企画

事件記者清水優 ブラジル体当たり

事件記者清水優 ブラジル体当たり

◆清水優(しみず・ゆたか)1975年(昭50)生まれ。38歳。東京外大ポルトガル語学科卒。98年入社。静岡支局、文化社会部、朝日新 聞社会部警視庁担当を経て、文化社会部に帰任。事件、事故など中心に行き当たりばったりながら体当たりで取材。体重95キロ。

マフィア危機の中ニッポンコール


<W杯:日本1-4コロンビア>◇1次リーグC組◇24日◇クイアバ

 【サンパウロ24日(日本時間25日)】サンパウロのブラジル宮城県人会会館では、日系人と日本人サポーターが、日本代表のコロンビア戦を応援した。特設の大型スクリーン前に約50人が集まった。W杯準備に莫大な予算をかけた政府への不満が高まる中、W杯の応援会を表だって開催しにくい雰囲気だったが、宮城県人会の中沢宏一会長(71)が企画。サンパウロで、日本の高校のブラジルサッカー留学拠点を20年以上運営してきた中沢会長の思いを聞いた。

 リベルダージ地区の白いビルからは、表通りまで「ニッポン」コールが響いた。各国代表カラーで作られた仙台七夕の吹き流しがかかったホールで、日系人、日本人ら約50人が日本代表に声援を送った。

 企画したのは宮城県人会会長の中沢さん。「さまざまなリスクがあったが、ブラジルでサッカーに関わってきたものとして、どうしても応援の拠点を作りたかった」という。

 ブラジルでは、W杯準備のため、当初予算の3倍をかけた政府への不満が高まっている。「政府や関連企業の汚職がひどく、反発するデモやストも多い。W杯歓迎の旗を揚げようものなら、マフィアから脅しが来る。最悪の状況だった」。それでも「治安面で評判の悪いブラジルに、はるばる応援に来る日本人を支えたい」との思いが勝った。ホテル代が高騰するサンパウロで会館を宿泊所として開放。日本人サポーターの拠点を作った。

前半終了間際の同点ゴールにガッツポーズで喜ぶ宮城県人会の中沢会長

 中沢さんは宮城県の旧唐桑町(06年に気仙沼市と合併)出身。漁師の家の三男で、1963年に農業移民としてブラジルに渡った。「当時、右も左も分からない自分を日系社会が助けてくれた」。今回のサポーター支援は、その恩返し。気仙沼では兄の家が東日本大震災による津波で流失した。被災地となった故郷に寄せられた支援への感謝の思いもある。

 ブラジルで、サッカーに深く関わってきた。農業移民として、最初は大農場の労働者。2年後に始めたバラ農園で成功し、財をなした。移民生活30年となった1993年。「日本人移民として、ブラジルに移民した証しを残したい」と、小さなサッカー場をつくり、選手養成所「中沢スポーツ教育センター」を立ち上げた。

 大分の日本文理大付、栃木の矢板中央などが同センターに留学し実力を伸ばした。卒業生にはJリーグに進んだ選手もいる。近年は主にブラジル人選手を養成しプロへ輩出している。

 ブラジルで日本サッカーの強化に関わってきただけに、日本代表の3試合は感慨深いものがあった。ただ、中沢さんは「Jリーグも20年たち、日本の実力は向上したが、他国もそれ以上に実力を伸ばしている」と指摘。「欧州の花形チームに所属する選手が増えたがどれだけ試合に出ているのか。ブラジルの下位リーグで常時出場し、もまれた方が経験になる。欧州だけを向いた考えをあらためないと、日本は置いて行かれる」。厳しい言葉に、故郷の代表への強い期待をにじませた。

















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