プロ野球番記者コラム

【オリックス】岸田監督、現役時代は故障の連続 コーチで生きた挫折と苦労の経験、監督でも

オリックス岸田監督(2024年撮影)
オリックス岸田監督(2024年撮影)

<ニッカンスポーツ・コム/プロ野球番記者コラム>

今オフ就任したオリックス岸田護監督(43)は故障の連続だった。現役時代、こんな嘆き節を聞いたことがある。「内転筋は何回痛めたか分からへん。足首は緩くて、捻挫しやすくなってる。肉離れもしょっちゅうやしね…」。左足を上げた際に、少し背中を反ったようなフォームが特徴的。しなやかに、大きく全身を動かす代償として、多くの犠牲を払ってきた。

キャリア序盤は主に先発。その後は抑え、中継ぎとブルペンで地位を築いた。最後の先発マウンドは、17年4月29日のソフトバンク戦。チーム投手陣で最年長の35歳になっていた。3年ぶりの先発。3回で降板したのに、京セラドーム大阪の取材エリアに出てきたのは午前0時に近い時刻だった。2軍降格を示す大荷物を持っていた。しばらくは話す機会がないと思い、2人だけの立ち話は15分以上も続いた。

「勝って楽しい原稿を書いてもらうはずやったけど…。すいません。攻めるピッチングができてなかったです」とこちらに頭を下げた。苦しい場面の連続。内野ゴロの間の1点でしのいだが、66球での交代を潔く受け止めた。勝てば書くはずだった“楽しい原稿”には、当時まだ小学校入学前だった長女のことを含めようと思っていた。

「娘には、僕が活躍してる記憶がほとんどない。小さかったから。娘からはずっと『ディズニーランドに行きたい』と言われてるけど、ごめんって。オフも休まずに練習してるんで…」。現役晩年とあって2軍暮らしが増え、練習を終えて自宅でナイターを見ていると「何でパパ、出てないの?」と言われ、ふがいなさがこみ上げた。格好いい姿を見せたかった。故障だらけの体と、心を支えたのが家族の存在だった。

現役時代はチーム低迷期。優勝に手が届かなかった。栄光だけでなく、挫折と苦労を多く知る。そんな経験則が引退後のコーチ業に生きた。監督1年目Vの偉業に期待したい。【オリックス担当 大池和幸】

現役時代の岸田護監督(2014年撮影)
現役時代の岸田護監督(2014年撮影)

おすすめ情報PR

野球ニュースランキング