【田村藤夫U18チェック】関東第一の後輩・熊谷俊乃介へ 配球の気配りを背後にも

田村藤夫氏(64)の「プレミアムリポート」は、U18アジア選手権(台湾)を戦った母校・関東第一の熊谷俊乃介捕手(3年)に焦点を当てます。8年ぶりの優勝を目指した高校日本代表は、決勝で台湾に敗れたものの、準優勝を果たしました。

高校野球

◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

【高校日本代表の成績】

■1次ラウンド

日本19―0香港

日本20―1スリランカ

日本13―0フィリピン

■スーパーラウンド

日本1―0台湾

韓国1―0日本

■決勝

台湾6―1日本

■関東第一の選手がジャパンのユニホームを着て、国際試合で国の代表として戦う。何と誇らしいことか。

私がプロ野球生活を送っていた時、母校の選手との交流は中日に入団してきた石橋康太捕手だけだった。

それでも、私がバッテリーコーチを務めていた球団に、同じ捕手として母校の後輩が入団するなど、本当にラッキーなことで、とてもうれしかった。

今は関東第一といえば、東東京の強豪校として広く高校野球ファンにも知ってもらえる存在になった。私の時は、東東京大会8強で何度もはね返されてきた。その自分の高校野球と重ね合わせて見ると、このところの母校の躍進は目覚ましい。

評論家になり、イースタン・リーグやフェニックスリーグで、楽天から巨人に現役ドラフトで移籍したオコエや、阪神に入団した井坪を取材するようになった。

広島に入団し、その後西武に移籍した中村祐とはなかなか球場で会うことができないが、4人の後輩がプロで戦っているのは、頼もしい限りだ。

大阪桐蔭や東海大相模、智弁和歌山のようにプロ野球選手を数多く輩出してきた高校とまではいかないが、それでもこれだけの選手が切磋琢磨(せっさたくま)する姿を見る幸せは、格別だ。

そんな思いで今夏の甲子園大会での母校の大躍進を手に汗握りながら見守り、準優勝の戦いを応援させてもらった。

それだけでも十分なのだが、台湾で行われたU18アジア選手権には、捕手として熊谷が、投手として坂井(遼=3年)が選出された。

関東第一の選手がジャパンのユニホームを着て、国際試合で国の代表として戦う。何と誇らしいことか。そしてそれが、私が専門としてきた捕手であることが、本当にうれしかった。

熊谷は1次ラウンドから、スーパーラウンド、決勝戦とスタメンマスクをかぶることができ、そのプレーを見届けることができた。

これも縁だ。高校生の評論解説も、甲子園大会や、ドラフト会議までのタイミングで取り組んできたが、まさか国際大会で母校の、それも捕手を解説できる幸運に恵まれるとは。ここは、今後の熊谷のためにも厳しく、捕手として成長してほしい思いを込めて、きっちり評論することにした。

■そこで、どうするか。捕手としての真価が問われる時だ。

まず、スーパーラウンド初戦の台湾戦で、熊谷のリードを見て思うところはあった。

本文残り69% (3208文字/4669文字)

1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。