【連載第100回】日本ハム田宮裕涼 鎌ケ谷で励まされ巣立ち、逞しくなって再会する

田村藤夫氏(65)の「プレミアムリポート」は、今季開幕からブレークした日本ハムの高卒6年目・田宮裕涼(ゆあ)捕手(24=成田)です。

田村氏と同じドラフト6位、それも高卒捕手、同じ千葉出身からの日本ハム入団です。田村氏も自分の入団経緯と重ね合わせ、昨シーズンから注目してきました。強肩で俊足は、捕手としては貴重な存在です。

昨年までは野手と捕手を兼ねて試合出場のチャンスをうかがってきましたが、今年は捕手1本としてシーズンを走り抜き、ロッテ、ソフトバンクとのCSも経験しました。

レギュラーの捕手の座に限りなく肉薄した田宮捕手が今、どんなことを考えているのか、田村氏との会話から本音を感じることができます。

プロ野球

◆田宮裕涼(たみや・ゆあ)2000年(平12)6月13日、千葉・山武市生まれ。成田から18年ドラフト6位で日本ハム入り。20年9月27日オリックス戦(京セラドーム大阪)でプロ初出場、初安打。23年9月25日楽天戦(エスコンフィールド)でプロ初本塁打、初打点をマーク。23年までは通算31試合出場、打率2割2分8厘、2本塁打、9打点。今季は109試合に出場し打率2割7分7厘、3本塁打、30打点と飛躍した。175センチ、79キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸700万円。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

■「だんだん自分のスイングができなくなって」

田村氏お疲れさま。

田宮お疲れさまです。

田村氏秋季練習中に時間つくってもらって、ありがとう。よろしくな。

田宮こちらこそ、よろしくお願いします。

田村氏それで、シーズンを振り返って、どう? 大変だったかな?

田宮はい、やりがいはとてもありましたが、本当に大変でした。

田村氏以前、取材した時に、夏場以降、スタミナ面が大変になるよって、言ったのは覚えてる?

田宮はい、覚えています。本当に夏場以降、しんどかったです。田村さんが言っていたことが、自分でもやってみてよく分かりました。

田村氏具体的には何が大変だった?

田宮はい、やっぱり、バッティングに影響が出てきて、だんだん自分のスイングができなくなって。凡退の内容も悪くなって、それをなかなか修正できませんでした。

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。