【阪神4位指名】初対面から5カ月…バックヤードの夢かなう/BC埼玉・町田隼乙捕手

今回、田村藤夫氏(64)の「プレミアムリポート」は、独立リーグ・ルートインBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズ入団3年目、町田隼乙(はやと)捕手(21=光明学園相模原)へのインタビューです。10月24日に行われたドラフト会議で、阪神から4位指名を受けたばかりです。田村氏は今年5月にも町田選手にインタビューをしており、今回のドラフト指名を受けインタビュー第2弾となりました。

今季は51試合出場し、189打数61安打で打率3割2分3厘、得点圏打率3割1分5厘、本塁打5、打点37、三振35、四球30、死球1、盗塁2、失策7、捕逸4という成績でした。

プロ野球をひたむきに目指してきた21歳の大型捕手に、田村氏はどんなアドバイスを送ったのか。どうぞ、最後までご覧ください。

プロ野球

◆町田隼乙(まちだ・はやと)2003年(平15)4月3日、神奈川県秦野氏出身。大根小3年から野球を始め、大根中では平塚ボーイズに所属。光明学園相模原では2年秋からレギュラー捕手。3年春の大会は4回戦進出。3年夏の神奈川大会は2回戦で慶応に敗れた。埼玉武蔵ヒートベアーズでは1年目からリーグ戦に出場し4本塁打、2年目の昨年は8本塁打を記録。好きな選手は小林誠司。長打力を備えた大型捕手として3年目に挑む。186センチ、88キロ。右投げ右打ち。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

■「まさか支配下で指名していただけるとは」

田村氏久しぶりだね。

町田お久しぶりです。

田村氏阪神ドラフト4位指名、おめでとう! 良かったなあ。

町田ありがとうございます。おかげさまで指名していただきました。その節は取材していただき、本当にありがとうございました。

田村氏自分ではどんな予想をしていた?

町田はい、まさか支配下で指名していただけるとは思っていませんでした。育成でどこかの球団が指名してくれたらと、淡い期待を抱いていました。

田村氏そうか!

町田はい。ですから、阪神が支配下で4位指名していただいた時は、本当にびっくりしてしまって…。

田村氏その時、どういう状況で指名を知ったのかな?

町田はい、実はその日、上尾の球場でファンの皆さんにも入っていただき、バックスクリーンにライブでドラフト会議の模様を流していたんです。

田村氏えっ! そうかあ、それはすごいね。そうか、ファンの方にも来てもらっていたんだ!

町田はい、実はそうだったんです。それで、僕はネット裏にいたんですが、まさか支配下で指名していただけるなんて想像もしていなかったものですから、本当にびっくりしてしまって。ファンの皆さんにも、ものすごく喜んでいただいて、ありがたかったですし、本当にうれしかったです。

田村氏阪神に指名されるっていう予感みたいなものはあったのかな?

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。