【8度目の柿木蓮】戦力外の今こそ聞きたい、聞いてもらいたい…互いに絶句の場面も 

田村藤夫氏(65)のプレミアムリポートは、日本ハムから戦力外通告を受けた柿木蓮投手(24=大阪桐蔭)へのインタビューです。

プレミアムリポートは100回を重ねて来ましたが、今回のリポートは田村氏にとっても終生忘れることができない内容になりました。

プロ野球選手が戦力外通告を受けることとは? 高校野球で頂点を極めた柿木投手が味わうこの世界のリアリティー、そして穏やかに、冷静に言葉を選びながら対応する柿木投手の人柄とは?

実に多くのことを考えさせてくれる、「プレミアム」なリポートになったことを、冒頭でひと言触れさせていただきます。

ドラフト会議を終え、心躍らせてプロへの夢を語る新戦力の肉声が飛び交う中、田村氏は柿木投手の苦しい胸の内に肉薄します。そのコントラストはあまりに明暗くっきりと分かれ、それだけプロスポーツ選手の住む世界の非情さが読む者の心に迫るのではと、感じます。

渾身(こんしん)のインタビューを、どうぞ、最後までご覧ください。

後日、柿木投手へのインタビューを終えた田村さんの率直な思いも詳しくお届けします。

プロ野球

◆柿木蓮(かきぎ・れん)2000年(平12)6月25日生まれ、佐賀県多久市出身。大阪桐蔭では2年春から4季連続で甲子園に出場。3年時はエースとしてチームの春夏連覇に貢献。18年ドラフト5位で日本ハム入団。4年目の22年、6月11日中日戦でプロ初登板。1軍登板は同年の4試合のみで、23年から育成契約。今季推定年俸440万円。181センチ、87キロ。右投げ右打ち。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

■「どうぞ、気にせず聞いてください」

田村氏今日は時間つくってくれてありがとう。

柿木田村さん、こんにちは。おつかされ様です。こちらこそ、わざわざここまで来ていただきありがとうございます。

田村氏戦力外通告を受けた選手に、これから聞くことは、ちょっと俺としたら言いづらい…。

柿木いやいや(笑い)、そうですね。そうかもしれないと思いますが、どうぞ、気にせず聞いてください。

田村氏柿木君の気持ちを考えると、本当にはばかられるんだけど、インタビューをするために来たのだから、ここはストレートに聞かせてもらいます。

柿木はい、どうぞ、何でも聞いてください。

田村氏戦力外を通達された時、どんな思いがよぎった?

柿木はい。まあ、やっぱり自分でも覚悟というものはありましたし、そこは冷静に球団の方の話を聞くことはできました。そして、次に自分がどこに向かうべきなのかも、考えることはできました。

田村氏現時点で言えることはあるかな?

柿木はい。今はトライアウトに向けて練習を継続しています。

もちろん、トライアウトでNPBのどこかからか、声をかけていただければそれが一番いいのですが、そこは冷静に見ています。決してあきらめているのではありませんが、そうそう私の希望通りに進まないだろうと。それも踏まえた上で、チャレンジしようと思っています。

田村氏そうだよな。やっぱり、ここからNPBから声がかかる確率は本当に厳しいからな。では、他の選択肢は頭にあるのかな?

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。