辰吉寿以輝の現在地〈14〉【詳報2】試合後の控室「天才肌じゃないんで」

平成のカリスマ、丈一郎を父に持つ辰吉寿以輝(27=大阪帝拳)。

日本初の親子世界王者につながる道を一途に歩む。

強豪サウスポー、チャイワット・ブラトクアトックに3-0の判定勝ちした。

戦績は16勝(10KO)1分けで無敗レコードを継続。

しかし寿以輝に喜びはなかった。

寿以輝、父丈一郎、吉井会長、チャイワット、アトントレーナーらの言葉から、試合をひもとく。

ボクシング

笑顔なき勝利インタビュー

判定結果が出るまでの間、血が飛び散ったノートを見返した。

記者の採点では4ポイント差で寿以輝の勝利。

ジャッジは、2ポイント差、4ポイント差、6ポイント差で3者ともに寿以輝を支持した。

大歓声に包まれたリングでのインタビュー。

だが寿以輝の言葉に、勝利の喜びはなかった。

チャイワット・ブアトクラトックを判定で破りインタビューを受ける辰吉寿以輝(撮影・前岡正明)

チャイワット・ブアトクラトックを判定で破りインタビューを受ける辰吉寿以輝(撮影・前岡正明)

―エキサイティングな試合でしたが、戦ってどうでしたか?

寿以輝 やりにくくて。またあらためて練習しようと思いました。

―ポイントは2、4、6と差がついてクリアな勝利でした。

寿以輝 結果は勝ちですが、倒して勝ちたかったので。

―6回は普通の選手なら倒れていると思うが、さすがに50戦のチャイワットは最後の1発をもらわなかった

寿以輝 そういうやりにくさはあった。手の長さ。でも何より倒さなあかんので。また頑張ります。

―サウスポーとの距離はつかんでいたように見えましたが

寿以輝 (チャイワットは)独特の感じだったので。サウスポーに対してはつかんでいると思います。次は倒します。

―スーパーバンタムは左の王者が多い中でテストマッチとして手応えは

寿以輝 手応えは全然なかったです。もっとちゃんと練習してきたんですが。帰って反省します。

リングアナ ではファンの皆さまにひと言

寿以輝 1試合目からKOばかりだったのに、最後に倒せなくてすみませんでした。また次、頑張ります。

寿以輝コールを浴びて、控室に下がったが、その表情に喜びはなかった。

「下手くそやなあ」

寿以輝の試合は、必ず父丈一郎と母るみさんがリングサイドに陣取る。

ボクシングでは選手が控室に戻ると、グローブやバンテージを外して、ドクターのチェックを受ける。

取材が始まるまで、10分程度の時間が空く。

その時間を利用して、父丈一郎を会場の隅に誘導して、話を聞くのが恒例となっている。

報道陣に伴われて、花道を逆に歩いていく丈一郎にも笑みはなかった。

いわゆる「辰吉節」も、いつにも増して辛口だった。

父、丈一郎の場合

―試合をどう見ましたか

丈一郎 下手くそやなあと。真ん中に立ってばかり。オーソドックス相手と同じようなことするから。どうしても左とやり慣れてないから。右にいくと相手にとってド正面になる。

―頭もあたったが

丈一郎 切る時点でおかしい。正面に立つとそうなる。

―右ボディーストレートを突破口にしていた

丈一郎 あれではあたらん。左足を外にださんと。言ってんけどなあ。(アドバイスが)ないがしろや。

―判定は明確な勝ち

丈一郎 勝ちは勝ちやけど、ボクシングとしては意味がない。サウスポー対策の意味がない。単純に左回りして、相手を右に動かさなきゃいいんやろ、と思っている。アレでは今後、上にいくには勝てん。軸足をとられていた。

「本音をいうとな。相手も倒れたかったと思う」

―左足を相手の右足の外に出すという鉄則ですか

丈一郎 ジャブの練習をせいよ、といったが。聞いてくれんかった…。1回で倒せよ、右が相手なら1、2回で終わる。あんな(低い)ガードの選手。左やからかかったね。

―慣れていくには左と対戦していくしかない?

丈一郎 バランスよね。それはやっていくしかない。

―国内の王者はサウスポーが多いが、対戦したらどうか

丈一郎 絶対無理やと思う。出稼ぎで来ている外国人ボクサーやから、倒されるのは嫌なんよ。本音でいうとな。ボディーで相手も倒れたかったと思う。でもあのボディーでは倒れられへんのよ。

手厳しい評価だった。

丈一郎の言葉を聞いて、控室に移動した。

すでに寿以輝はバンテージを外し、いすに座っていた。

辰吉寿以輝。金色のトランクスは血で染まった(撮影・益田一弘)

辰吉寿以輝。金色のトランクスは血で染まった(撮影・益田一弘)

金色のトランクスが血で染まっている。

傷口は赤い肉が露出して、痛々しい。

リングでのインタビュー同様に笑顔はなし。

いつもよりも早口で、フラストレーションを抱えていることを感じさせた。

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スポーツ

益田一弘Kazuhiro Masuda

Hiroshima

広島市生まれ。2000年の入社からバトル、相撲、サッカー、野球を担当して、13年からオリンピック担当。
14年ソチ、16年リオデジャネイロを取材して、18年平昌、21年東京は五輪班キャップを務める。東京五輪後に一般スポーツデスク。
大学時代はボクシング部で全日本選手権出場も初戦敗退。アマチュア戦績は21勝(17KO)8敗。