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日本 王監督「世界レベルの仲間入り出来た」

<WBC:日本10−6キューバ>◇2006年3月20日◇決勝◇ペトコパーク

 王JAPANが世界を制した。WBC決勝でキューバを10−6で下し、初代世界王者に輝いた。日本代表を率いた王貞治監督(65)は韓国に2度敗れながらも準決勝で完勝。アマ世界最強軍団も破り、頂点に立った。王監督は勝つことで世界に日本の野球を知らしめるとともに、国内に野球の面白さを再認識させた。ベストナインには松坂、イチロー、里崎の3選手が選ばれた。世界の野球史に「王JAPAN」を刻み込んだ日本代表(メジャー組のぞく)は金メダルを胸に、今日22日、凱旋(がいせん)帰国する。

 ペトコパークを「ニッポン」コールが包み、紙吹雪が舞う。ティファニー社製の優勝トロフィーを王監督が、誇らしげにつかんだ。「今日勝てば、ということは分かっていたけど、実際に勝ってみると、最高ですよ」。野球が生まれた米国の夜空に3度、舞い上がった。「最高だったけど、あっという間に終わったね」と歓喜の瞬間を振り返った。ロッカー室から姿を見せたとき、左手には祝杯のアメリカ製のビール瓶が握られていた。

 世界一目前の9回2死。三塁側ベンチを出て、抑えの大塚がいるマウンドへ、自ら歩み寄った。内野手も集まった。投手交代ではない。「最後、アウト1つだ。落ち着いて行こう」。最後の最後まで万全の手を打った。準決勝でイチローを3番に動かしたように、川崎を1番で起用し、里崎を6番に上げた。効果は出た。初回、3本の単打と3四死球で4点を先制した。「僕はマジシャンじゃないからイチローを3番にしたら得点力が上がると早く判断できなかった。一種の賭けみたいなところはあったが、やらないよりやった方がいい」と心境を明かした。

 日本球界の新たな歴史をつくる決意で、日本代表を率いた。王JAPANのユニホームを作る際、メーカーには「今までの代表にないデザインを」と注文が出された。長嶋ジャパンでも採用された、日本代表の代名詞でもあった縦ジマは消えた。胸文字は赤色。王監督が「勝負にふさわしい」と好む色だった。

 2次リーグ初戦の米国戦。選手紹介で「サダハル・オー」は、イチローに次ぐ歓声で迎えられた。日本代表監督と同時に「世界の本塁打王」として注目された。「本塁打記録と言っても、同じ土俵でやってないんだから。それを単純に比較するのはおかしいよ。お互いにその場所で名前を残した。それでいいんだよ」。ただ、今回は同じ土俵で戦える。現役時代とは違う、大きな魅力がWBCにはあった。

 「スピーディー&ストロング野球」を提唱し、1点を守る野球で、2次リーグまで3勝3敗ながら、失点率で生き残った。グラウンド外では日本同様、練習日などはできる限り、サインに応じた。サインボールの書く場所さえ指定するわがままなファンにも「ここでいいのか?」と気軽に受けた。マナーの面でも日本野球が世界水準であることを伝える形になった。「日本が世界レベルの仲間入りができた。そういう捕らえてもらえるのが大きい。世界中の野球を知らなかった人にも知ってもらえたと思う」と、王監督は言った。

 WBCで野球が見直された。準決勝の韓国戦の瞬間最高視聴率は50・3%を記録。「日本人は野球が好きなんだよ。間合いが合ってる。みんな監督になれるからね」。野球界でも世界一を目標にできる。「これからは子供たちにも野球をもっとやらせてもらいたい。お母さんにお願いしたい」。メジャー軍団の米国でもドミニカ共和国でもない、初代王者は日本だ。野球は面白い。王JAPANが世界中に、それを教えてくれた。【中村泰三】

(2006年3月22日付日刊スポーツ)







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