【少年野球シリーズ第9弾】藤井風の町からやってきた~「MO-EH-YO」編~

【少年野球シリーズ第9弾】藤井風の町からやってきた~MO-EH-YO編~

高円宮賜杯全日本学童軟式野球大会マクドナルド・トーナメント(8月15~22日=東京・明治神宮球場など)に2年連続出場した里庄町少年野球クラブ(岡山)は、藤井風の故郷からやってきた。世界中から注目されるアーティストをハッシュタグにしながら、目指しているのは「ノーサイン野球」。前回に続き人口1万1000人の小さな町のチームが急成長する軌跡を、小野正太郎監督(49)に聞いた。

その他野球

ベンチから戦況を見守る小野監督。選手もみんな前のめりだ

ベンチから戦況を見守る小野監督。選手もみんな前のめりだ

お父さんコーチから監督に

1975年生まれの小野監督は、里庄町で最も西側の浜中地区に生まれた。

私も卒業した里庄中学野球部で投手などで活躍。総社南高、桃山学院大(大阪)では三塁と捕手などを守った。卒業後は里庄に戻り、現在は隣町の笠岡市の水道施設業・株式会社太陽に勤務している。

里庄町少年野球クラブには長男倖暉さん(20)が小1の時に入部。続いて次男倖聖さん(18)も入部して、関わるようになった。倖暉さんが6年生だった2016年(平28)にコーチとなり、翌年、前任者の後押しもあり監督に就任した。

――倖聖さんが5年生になった年ですね

「そのころは6年生が0人で1~5年生で12人。初めての試合は0-23で笠岡中央少年野球団に負けたのがスタートでした。全然勝てないし、勝たしてあげたいって気持ちだけは強くて。

正直、『僕が勝たす』という気持ちでずっと練習していました。自分本位で我を通していました。試合でもサインばっかりだして、配球まで指示してました」。

――走者が出れば、すぐにエンドランとか盗塁とか

「はい、全然成功せんでしたけど。何が悪いんかなといろいろ考える中で、2年目でした。たまたま強豪の小野東スポーツ少年団(兵庫)に行かせてもらったんです。前監督の知り合いの岡山県学童軟式野球協議会の方に『行ってみるか』と声をかけていただいて、合同練習をさせてもらったんです。それをきっかけに野球がガラッと変わったんです」。

肩を組み、気持ちを1つに…

肩を組み、気持ちを1つに…

子供に伝わる言葉で

――何が変わりましたか

「子供に伝わる言葉で指導されていたのを一番に感じました。結局、僕が悪かったんじゃなって。1つのプレーを小野東の監督さんがうちのキャッチャーに一言、二言教えてくれたんです。そうしたら、すごく変わった。チームの結果も変わってくることに気づきました。それが大きなポイントでした。

そこから、練習内容より言葉の使い方を勉強しました。いろんな人の話を聞いたり、本を読んだりしました。本とか全然読んだことないのに」。

――何の本ですか

「あらゆるジャンルです。小説やら野球の指導書、育児書とかも読みました。子どもになんて言えば伝わるのかなって」。

――結果にはどんな形で表れましたか

「小野東さんに6月に行って、9月の県大会のろうきん杯で準優勝したんです。同じ地区に強豪の井原アローズさんがいたので、そこまでなかなか勝ち抜けなかったんですが、ろうきん杯は笠岡地区と井原地区で1チームずつ出られた。それもよかったんですが、1回も勝ったことない井原さんに準々決勝で1-0で勝った。それで決勝まで進んだんです。」

全力で駆け抜けた

全力で駆け抜けた

――壁を乗り越えたんですね

「その後、中国大会に行って、違う県のチームも見ることができたのも大きかった。上に行かないといけないなという意識になって、そのために何をしないといけないか、次々先のことを僕等が考えるようになったんです。今まで目の前のことばかり考えていのが、視野が広がったので、その先を考えるようになりました」。

――県外の強豪への訪問はその後どのように

「いろいろ行かせてもらいました。多賀少年野球クラブ(滋賀)さんに強化大会の形で行かせてもらったり、新家(しんげ)スターズ(大阪)さんとか強豪と言われるところに、勝敗じゃなくて、勉強を目的に行きました」。

――移動はチームバスですか

「うちは持ってないので、保護者の方に協力してもらって、分乗で行きます」。

――それまでのチーム状況からすると、そこまでしなくてもと思われるご家庭もあったのではないですか

「そこを理解してもらうためにも結果が必要だと思っていました。だから、県大会準優勝は大きかった」。

ナイスキャッチ!!

ナイスキャッチ!!

勝つことを楽しめ

――他チームから勉強しながら、具体的に変わったのは

「考える野球ですね」。

――小学生に考えさせるのは難しいですよね

「僕がよく言うのが『勝つことを楽しめ』です。『勝て』でもなく、『楽しむ』でもない。『勝つことを楽しむ』ためにはどうすればいいのか? それは子供たち自身が考えてやっていく野球が一番かなと。子供たち自身が勝つことを楽しむために、何をするかを考えました」。

――最終的にはゲームに勝つのが一番楽しいということですか

「そうですね。負けると子供たちは『楽しくない』って言いますから(笑い)」。

――ヒットを打たないより、打った方が楽しいし

「はい、それもそうです。打者なら対ピッチャーに勝つことを楽しむ。守っていても、いい打球が来た、それをアウトにしたら、勝ったことになる」。

ホームイン!

ホームイン!

――それが結実して、昨年18年ぶりにマクドナルド・トーナメントに出場した

「実はその1年前のチームで結果が出たんです。2021年の新人戦で初めて県大会で優勝したんです。そこで、やったのは『ノーサイン野球』です。多賀さんの影響でやってみました」。

◆多賀(たが)少年野球クラブ  辻正人監督が1988年に滋賀県多賀町に結成。「世界一楽しく! 世界一強く!」をモットーに、10年以上前から指導者がサインを出さず、選手同士がサインやアイコンタクトで試合を進める「ノーサイン野球」を実戦。2018、19年にマクドナルド・トーナメントを連覇した。

――多賀少年野球クラブがノーサインで、マクドナルド・トーナメントを連覇しましたね。でも、そんなことすぐできましたか

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編集委員

久我悟Satoru Kuga

Okayama

1967年生まれ、岡山県出身。1990年入社。
整理部を経て93年秋から芸能記者、98年秋から野球記者に。西武、メジャーリーグ、高校野球などを取材して、2005年に球団1年目の楽天の97敗を見届けたのを最後に芸能デスクに。
静岡支局長、文化社会部長を務め、最近は中学硬式野球の特集ページを編集している。