【少年野球界の移籍劇】全国常連の高崎中央がポニー初出場で初優勝/秋のGL決戦前編

日本ポニーベースボール協会のSSKカップ第48回関東連盟秋季大会が10月27日に幕を閉じた。「ポニーの雄」ポニー江東ライオンズを決勝で破ったのは、8月にボーイズリーグからポニーに移籍した高崎中央ポニーのAチームだった。初出場の高崎中央はエントリーした3チームのうち、Bチームも4強入りして、いきなり実力を発揮した。早くも伝統の一戦となりそうな「GL決戦」の第1ラウンドを前後編で掲載する。

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優勝の瞬間、マウンドで跳びはねた

優勝の瞬間、マウンドで跳びはねた

ジャイアンツカップ4強

黒い帽子にオレンジの糸で「T」と「G」の合わせ文字が刺繡されている。オレンジベースのユニホームの胸にはチームの愛称「Giants」が彩られている。

「TOKYO GIANTS…」いや、「TAKASAKICHUO GIANTS」。

ボーイズリーグ群馬県支部の強豪は今夏まで4季連続全国大会出場。2021年春には全国凖優勝までたどりついた。

昨年8月のジャイアンツカップ準決勝を直接取材した。G杯は中学硬式5団体の枠を外し各地の予選を突破した代表が集まる。初の決勝進出を目前にした高崎中央は、強打の世田谷西シニアを6回裏2死まで1-0でリード。そこから2本のタイムリーを浴び、逆転負けを喫した。

翌日、優勝した世田谷西シニアを最も追いつめた堂々たる戦いぶりは「負けてなお強し」の印象を残した。

そんなジャイアンツがポニーにやってきた。

予選リーグは4勝1敗で2位通過。まさかの1敗を喫したが、決勝トーナメントは3試合で30得点1失点。実力も勢いも十分に、決勝戦にコマを進めた。

対する江東Lも予選リーグを4勝1敗。負けたのは高崎中央ポニーBチーム。全員2年生のAチームに対して、Bチームは1、2年生の混成で、4番には1年生が座った。江東LがBチームに負けた衝撃は、高崎中央の強さを物語る現象として、一気にポニーを駆け巡った。

昨年のジャイアンツカップ準決勝後、惜敗した高崎中央ボーイズ(当時)は、世田谷西シニアと健闘をたたえ合い、千羽鶴を托した

昨年のジャイアンツカップ準決勝後、惜敗した高崎中央ボーイズ(当時)は、世田谷西シニアと健闘をたたえ合い、千羽鶴を托した

しかし、江東Lは決勝トーナメント準決勝で高崎中央Bと再戦。4-1で雪辱を果たし、辛うじて決勝の「高崎中央決戦」を回避した。

江東Lも2022年まで日本選手権3連覇を達成した「ポニーの雄」。関東連盟のリーダーとしても、GL…いや、江東サイドから命名すると「LG決戦」に負けるわけにはいかなかった。

とかなんとか、胸を高鳴らせてやってきた千葉・柏の葉公園野球場。中学硬式野球の歴史に残るだろうと思っている決勝の取材記者は、わが社とポニー協会の公式SNS担当だけだった。

まあ、メディアの数はこんなものなのだが、試合は白熱した。

4回に特大の二塁打を放った草野

4回に特大の二塁打を放った草野

バント処理が決め手に

3回表、高崎中央Aは内野安打に四球やスクイズを絡め、4点を先制した。守っては先発投手の上原達也(2年)が5回途中に球数制限の75球を迎えるまで2失点の好投で主導権を握り続けた。

決勝に先発した上原は小柄ながらキレのいい投球でMVPに選ばれた

決勝に先発した上原は小柄ながらキレのいい投球でMVPに選ばれた

スーパープレーが飛び出したのは2点リードで迎えた6回裏だった。

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編集委員

久我悟Satoru Kuga

Okayama

1967年生まれ、岡山県出身。1990年入社。
整理部を経て93年秋から芸能記者、98年秋から野球記者に。西武、メジャーリーグ、高校野球などを取材して、2005年に球団1年目の楽天の97敗を見届けたのを最後に芸能デスクに。
静岡支局長、文化社会部長を務め、最近は中学硬式野球の特集ページを編集している。