【月亭八織】上方で貴重な女流スター候補…劇団→お茶子→はなし家の異色経歴も魅力

月亭八方門下の女流落語家、月亭八織(はおり=44)が入門から10年の節目を迎えました。舞台女優、寄席のお茶子を経て、落語家になった異色の経歴の持ち主。師匠八方には弟子入り志願を3度断られ、4度目で入門を許されました。それでいて「師匠からはほとんど教えてもらっていない」という噺(はなし)家修業。独自の感性と、周囲を引きつける人柄ですくすくと成長してきました。新たな女流スターの誕生となるでしょうか。

お笑い

はなし家10周年記念公演「八織遊演地」を10月28日にABCホールで行う月亭八織(撮影・三宅敏)

はなし家10周年記念公演「八織遊演地」を10月28日にABCホールで行う月亭八織(撮影・三宅敏)

◆月亭八織(つきてい・はおり)1980年(昭55)1月21日生まれ、滋賀県出身。2014年(平26)6月、月亭八方に入門。趣味は昆虫観察、物作り、美容、絵を描くこと。

「月亭八織噺家10周年記念公演 八織遊演地」が10月28日、大阪・ABCホールで行われる。出演は月亭八織、月亭八方、笑福亭鶴瓶、もりやすバンバンビガロ、我龍。

立て板に水 絶えない笑顔

女性の年齢を明かすのは昨今のコンプライアンスからアウトかもしれないが、とても44歳には見えない。

話し始めたら立て板に水。笑顔を絶やさず、周囲の先輩芸人から好感度が高いのもうなずける。

八織滋賀県大津市の出身です。幼少期からお芝居が好きで、18、19歳から演劇の世界にハマっていました。

腹筋善之介さん、後藤ひろひとさんの下で経験を積んで、テレビドラマに出ることもありました。たまたま友人から「繁昌亭に落語を見に行こう」と誘われたのが、転機になりました。20代の半ばだったでしょうか。

それまで特に落語が好きなわけではなかった。まっさらな気持ちで高座を見るうちに「これは一人芝居や!」と夢中になった。そこからが予想外の展開。運命に導かれるように、落語の世界に近づいていく。

八織お茶子になってみないかと誘われたんです(お茶子とは、落語家が使う座布団を交換したり、演者の名前が書かれた「めくり」をめくるのが主な仕事)。気がついたら、月の半分はお茶子の仕事をやっていて、お芝居をやっているときよりも収入が増えてました。林家染丸師匠の45周年(2011年12月16日)ではNGK(なんばグランド花月)で、お茶子を務めました。

とりこ「あの座布団に」

お茶子の仕事は、縁の下の力持ち。落語家に気持ちよく仕事をしてもらってなんぼの世界でもある。お茶子として舞台そでから、三代目桂春団治をはじめ、数々の噺家を体感した。

八織そうこうするうちに「私も、あの座布団にすわってみたい」と思うようになったんです。NGKで行われた月亭文都さんの襲名披露(13年3月)で、八方師匠を見かけて「この人の弟子になるんだ!」と決めました。

しかし、すんなりと弟子入りは許されなかった。

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エンタメ

三宅敏Satoshi Miyake

Osaka

大阪市生まれ。1981年に日刊スポーツ入社。
主に芸能ニュース、社会ニュースの記者・デスクを務める。
2011年に早期退職制度で退社。その後は遊んで暮らしていたが、2022年から記者として復帰。吉本のお笑い芸人などを取材している。
好きなものは猫、サッカー、麻雀、ゴルフ。身長171センチ。