宇野昌磨との20年、築いてきた2人の「間」はこれからも コーチ・樋口美穂子

フィギュアスケートで日本男子初の世界選手権2連覇、オリンピック2大会でメダルを手にした宇野昌磨(26=トヨタ自動車)が、引退を決断しました。5歳から長く指導してきたのが樋口美穂子コーチ。技術だけでなく、振り付けも手掛けながら、温かく成長を見守ってきました。区切りに師は何を思うのか―。引退会見が行われた5月14日の夜、記者はその思いに触れました。

フィギュア

4大陸選手権でシニアの主要国際大会にデビューした17歳の宇野(2015年2月11日撮影)

4大陸選手権でシニアの主要国際大会にデビューした17歳の宇野(2015年2月11日撮影)

思いがけぬ訪問

その姿を想像すると、聞き手のこちらもほほ笑まずにはいられなかった。

「『昨日来る予定だったんですけど、寝坊しました…』って昌磨が言っててね」

樋口が振り返ったのは、4月の横浜のリンクだった。

照れくさそうにする教え子の姿を思い返す声は、自然と弾む。

以前から、指導する上薗麗奈にジャンプを教えてほしいとお願いしていたという。

スケジュールを詳細に合わせて、というよりは、宇野の多忙さをおもんぱかって、あくまでも「お願い」。

それはアイスショー「スターズ・オン・アイス」の期間中の朝だった。

GPファイナル男子フリーの演技を終え、キスアンドクライで得点を確認した宇野(右)は笑顔で拍手する。左は樋口コーチ(2016年12月10日撮影)

GPファイナル男子フリーの演技を終え、キスアンドクライで得点を確認した宇野(右)は笑顔で拍手する。左は樋口コーチ(2016年12月10日撮影)

「まさか来てくれると思わなかったんですけど。昌磨の練習は昼からだったので。びっくりでしたね。『今日は、頑張ってきました』って」

突然の来訪を喜びながら、屈託なく前日の「寝坊」も口にするところまで含めて、感謝と愛着が詰まった出来事。

同時に、樋口は重荷にならないように、心配りもしていた。

「深く責任を感じなくてもいいからね」

細かい技術的な指導を施してほしいわけではなかった。感覚的な話であっても良いし、宇野に声をかけてもらうこと自体がきっかけになることもあるだろう。

「彼は請け負うと責任を感じるんですよね。なので『ちょっと声をかけてあげて』とか『ちょっとこうした方がいいんじゃないかなと思うことを言ってくれればいいんだよ』って」

周囲の支援があってこそ、伸び伸びとスケートができてきた。人一倍、自覚的であるからこそ責任を感じる事も多い。それを師は分かっていた。

5歳で知り合って、選手生活の最終盤まで。2人が醸成してきた信頼の厚みを感じる一コマだった。

3人目の華あるスケーター

宇野が引退会見を開いた日。自らの口で決意を語った後にこそ、話を聞きたかったのは恩師、樋口だった。

「私、見れてないんですよー。仕事中でした!」

スケートカナダ男子フリーを終え、キスアンドクライで樋口コーチ(左)と談笑する宇野(2017年10月28日撮影)

スケートカナダ男子フリーを終え、キスアンドクライで樋口コーチ(左)と談笑する宇野(2017年10月28日撮影)

本人の意志、進む先は予見していた。1つ1つの言葉をじっくり聞かずとも、この約20年間の様々な場面を振り返れば、いまの心境もおのずと感じられるのだろう。

思い浮かぶ記憶を聞くと、悩んだ末の答えはこうだった。

「年々によっていろいろあるんですよね。小さい頃も、ジュニアの頃も、シニアもある。これだって1個決められないんですよね」

例えば、いまでも初対面の事は鮮やかに思い出せる。

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スポーツ

阿部健吾Kengo Abe

2008年入社後にスポーツ部(野球以外を担当します)に配属されて15年目。異動ゼロは社内でも珍種です。
どっこい、多様な競技を取材してきた強みを生かし、選手のすごみを横断的に、“特種”な記事を書きたいと奮闘してます。
ツイッターは@KengoAbe_nikkan。二児の父です。