◆紙面企画
私のレジェンド
過去19回行われた世界最大の祭典。全世界のファンが魅了され、スーパースターに酔った。誰にでもいるW杯のヒーロー、それぞれの一押し選手を「私のレジェンド」として連載する。
ルールを変えたペレ
<メキシコ五輪得点王 釜本邦茂氏>
ペレは、すべてが桁違いです。58年スウェーデン大会では17歳でW杯に出てきた。当時中学生の私から見ても子どもですよ。ブラジルから、とんでもない人が飛び出してきたと衝撃を受けた。映画の世界。準決勝のフランス戦ではハットトリックまでやってね。
4度目出場となった70年メキシコ大会は一番の成熟期だったんじゃないかな。点を取るだけじゃなくてゲームメークもする。チームをまとめるすごさもあった。走らせたら瞬間的な短いのも速いし、長いのも速い。決勝のイタリア戦ではヘディングまで決めちゃう。人じゃない感じ。私にとってはマネしようとか、そこに到達しようとかいう対象に、1度もならなかった。
でも一番すごいのはFIFA(国際サッカー連盟)のルールを変えたこと。66年イングランド大会で膝をケガしながらプレーし、ポルトガル守備陣のラフプレーで試合中に悪化させてしまった。それまでは選手交代は認められていなかった。ケガしたら1人少ないまま。ペレによって、このままではいけないと「交代枠」が生まれたんです。
個人的には私の引退試合(84年8月25日、国立)に来てくれたことが一番の思い出。試合だけでなく、肩車もしてもらいましたから。選手冥利(みょうり)に尽きる、最高の一日でした。実はペレがいたニューヨーク・コスモスと同じ北米リーグの、ロサンゼルスのチームから誘われていたんですよ。プロ契約しないかって。でも私も30歳を過ぎていたしね。あと少し若かったら、チャレンジしていたかも。ペレと同じリーグで対戦していたかもしれないですね。
◆ペレ 本名・エドソン・アランチス・ドゥ・ナシメント。1940年10月23日、ブラジル・ミナスジェライス州生まれ。15歳でサントス入りし、22年間在籍。75年から北米サッカーリーグのニューヨーク・コスモスで3年間プレーして引退。16歳9カ月でデビューした代表では初出場初得点。58年から4大会連続でW杯出場。70年メキシコ大会で史上唯一の3度目優勝。生涯成績は1363試合出場、1281得点。愛称は「王様」。現役時代は171センチ、73キロ。