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紙面企画

私のレジェンド

私のレジェンド

過去19回行われた世界最大の祭典。全世界のファンが魅了され、スーパースターに酔った。誰にでもいるW杯のヒーロー、それぞれの一押し選手を「私のレジェンド」として連載する。

翼のライバル真っ先に浮かんだルンメニゲ


<漫画家 高橋陽一>

 強烈な印象が残っているのは西ドイツ代表のルンメニゲ。カール・ハインツ・ルンメニゲですね。82年大会の準決勝フランス戦、延長で1-3という場面で出てきたんです。出場してすぐに反撃ゴール。その後、フィッシャーが同点ゴールし、W杯初のPK戦にも勝って決勝に進んだ。テレビで見て興奮しましたね。

 ケガで体調も万全ではなかったのに、勝利のためにチームを鼓舞し、自らゴールも決めた。誰もが負けたと思うような状況でも、最後まであきらめなかったんです。ゴールもリトバルスキーのクロスにジャンピングボレーで合わせるという素晴らしいものだったけれど、何より印象的だったのは精神力。主将としてチームを引っ張る姿でした。

 W杯は78年大会から見ていますが、82年大会はおもしろかったですね。アルゼンチン代表のマラドーナ、ブラジル代表のジーコ、フランス代表のプラティニ、そして優勝したイタリア代表のロッシ…。高い技術を持ったスター選手がたくさんいました。そんな中、ルンメニゲは特別でした。勝利への執念、強い気持ちを感じました。「ミスター・ヨーロッパ」と呼ばれたのは選手としての技術だけではない。「最後に勝つ」西ドイツの象徴でした。

 当時、サッカーの強い国と言えばブラジルと西ドイツでした。ブンデスリーガには奥寺さん(康彦=現横浜FC会長)もいたし、テレビでも見ていましたからね。

 ブラジルに渡った(キャプテン翼の)大空翼のライバルは、西ドイツ選手にしたかった。真っ先に浮かんだのが、ルンメニゲだったんです。その思いを、シュナイダーのファーストネーム(カール・ハインツ)と背番号(11)に託したんです。(おわり)

 ◆カール・ハインツ・ルンメニゲ 1955年9月25日、西ドイツ・リップシュタット生まれ。74年にバイエルン入りし、FWとして欧州チャンピオンズ杯連覇などに貢献した。76年に代表デビューし、W杯は78、82、86年と3大会に出場。主将として2回の準優勝に導いた。80、81年に欧州最優秀選手賞受賞。84年にセリエAインテルに移籍し、87年にスイスのセルヴェットFC移籍。89年の引退後は解説者などを務め、現在はバイエルン会長。代表通算95試合45得点。

















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