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紙面企画

私のレジェンド

私のレジェンド

過去19回行われた世界最大の祭典。全世界のファンが魅了され、スーパースターに酔った。誰にでもいるW杯のヒーロー、それぞれの一押し選手を「私のレジェンド」として連載する。

ボールが吸い寄せられる闘牛士ケンペス


<俳優 勝村政信>

 やっぱりケンペス、アルゼンチン代表のマリオ・ケンペスですね。W杯が分かって、初めて真剣に見たのが中学3年の時の78年アルゼンチン大会。泥臭く、いつの間にかDFを抜け、ここという時に決める。オランダとの決勝の延長戦、中央を突破すると、相手に当たったボールが全部自分に跳ね返る。本当にすごかった。高校時代「ケンペス、ケンペス」と言いながらドリブルしていましたね。

 髪の毛が長くて、闘牛士という異名もあった。闘牛士が何かも分からないんだけど、そんな風に呼ばれることがすごかった。それから、試合前のスタンドからの紙吹雪。あのインパクトは忘れませんね。何じゃこりゃ、っていう感じで。

 所属がバレンシアというのも驚きました。アルゼンチン選手なのに、遠い欧州でプレーしている。当時は欧州の南米選手は珍しかったから。週に1回のテレビ「三菱ダイヤモンドサッカー」でやるのは、西ドイツとイングランドぐらい。それで、バレンシアとスペインに興味を持ったんです。

 後から聞いた話ですけれど、アルゼンチンと決勝で対戦したオランダのホテルは、水しか出なかった。練習後のシャワーも浴びられない。国がチームを優勝させるために、一大プロジェクトを展開したんだと。もちろん、当たり前のように民間人も協力する。W杯のすごさを感じました。

 74年大会もよかったですよ。オランダのミケルス監督とクライフがサッカーを変えた。西ドイツのベッケンバウアーもすごかった。ポーランドのラトーも好きでしたね。ただ、テレビで見たのは後からだし、記憶も混濁している。彼らをあげると、自分の意見じゃないようで。やっぱり、リアルタイムで衝撃を受けたケンペスなんです。

 ◆マリオ・アルベルト・ケンペス 1954年7月15日、アルゼンチン・コルドバ州生まれ。74年にロサリオ・セントラルで同国リーグ得点王に輝き、76年にバレンシア(スペイン)移籍。76-77、77-78年と2季連続得点王になった。その後オーストリア、チリなどでもプレーした。代表は20歳でデビューし、74年からW杯3大会に出場。78年大会は6ゴールで得点王とMVPを獲得した。代表通算43試合20得点。86年の引退後は指導者に転身し、現在はスペインで解説者として活躍している。

















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