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OGGIの「毎日がW杯」
荻島弘一(おぎしま・ひろかず):1960年(昭35)東京都出身。84年に入社し、スポーツ部勤務。五輪、サッカーなどを担当して96年からデスク。出版社編集長を経て05年から編集委員として現場取材に戻る。
アジア勢初は38年東インド/よもやま話
初めて本大会に出場したアジアの国はオランダ領東インド(現インドネシア)で、38年フランス大会だった。実はこの時、日本も初めて予選にエントリーしていた。36年五輪で優勝候補のスウェーデンに勝つ「ベルリンの奇跡」で世界を驚かせたチームが、今度はW杯に挑もうとしたのだ。
しかし、政局の悪化で参加を断念した。オランダ領東インドは予選なしで出場し、1回戦(当時はトーナメント戦)でハンガリーに0―6と完敗した。次の50年大会予選にエントリーしたインドとビルマ(現ミャンマー)はともに棄権。54年大会予選で日本を破った韓国が、アジア勢2番目の出場国となった。
もし、日本が38年大会予選を棄権しなかったら―。当時の実力から考えて、予選突破の可能性は十分。2年前の屈辱を経験した選手も出場していたスウェーデンが4強入りしたことを考えれば、日本が再び世界を驚かせる可能性もあった。
結局、その後のアジア予選で負け続け、日本が初出場したのは98年のフランス大会。60年前に同じフランスで行われた大会に出場していれば、その後も日本サッカーの歴史は大きく変わったかもしれない。【荻島弘一】