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OGGIの「毎日がW杯」

OGGIの「毎日がW杯」

荻島弘一(おぎしま・ひろかず):1960年(昭35)東京都出身。84年に入社し、スポーツ部勤務。五輪、サッカーなどを担当して96年からデスク。出版社編集長を経て05年から編集委員として現場取材に戻る。

協会、国内リーグ・・・今こそドイツに学べ


 ドイツに凱旋(がいせん)帰国した代表チーム。25万人ともいわれるファンがブランデンブルク門近くの歓迎会場に集まった。その光景に圧倒されながら「いつか日本でも」と思わずにはいられない。しかし、今大会で日本に突きつけられたのは厳しい現実だった。「優勝」を公言したチームは1勝もできなかった。選手たちの帰国は先月27日、ずいぶん前のように思う。

 敗退後「日本らしいサッカー」という言葉が繰り返された。日本代表が目指した「ポゼッションを高める攻撃サッカー」は壁に当たった。オランダが守備を重視してスペインを破るなど今大会はカウンターサッカーが優勢。5バックで守りを固め、攻撃は前線に任せる。日本とは真逆だっただけに「このままでいいのか」という議論になった。

 「カウンター有利」は大会前から予想できた。状態が悪くてボールが走らないピッチは、パスサッカーに不向き。酷暑で体力の消耗が激しく、全員で動き回るのも難しい。大会前は日本が厳しい環境の中でどれだけできるかも楽しみだったが、終わって見れば「日本に不利」な大会だったことは間違いない。

 「それなら、ブラジル仕様にすればよかった」という考えもあるだろうが、まだ「スタイル」が確立されていない日本で大会ごとに違うチームを作るのは現実的ではない。まず「日本のサッカー」を固めること。しっかりしたベースがあってこそ、大会ごとのマイナーチェンジが生きる。

 次大会のロシアは、暑さの心配は少ない。ピッチも固く、パスサッカー向き。日本のスタイルが生きるはずだ。今回負けたからといって「守備重視に」「カウンターを」というのは違う気がする。11年W杯を制したなでしこジャパンも、12年ロンドン大会4位の五輪代表も、基本はパスサッカーだった。攻守に連動するスタイルだった。

 36年ベルリン五輪で、日本は優勝候補のスウェーデンを破った。「ベルリンの奇跡」を演じたFW松永行は提言を残している。「ショートパスの速攻法を伸ばし、これに加えるに遅攻法をとり、緩急よろしくを得て、初めて日本蹴球(サッカー)の完成の時は来るのである。と同時に、この時こそ世界蹴球覇者たり王者たる時なのである」。80年近く前に「日本らしいサッカー」の原型はあった。

 もう1つ。「W杯優勝チームは、その後4年間の世界のトレンドになる」という言葉がある。ドイツサッカーはすばらしかった。攻撃パターンが豊富で、選手層も厚かった。ただ、学ぶべきは、そのスタイルだけではない。協会や国内リーグなど、今こそ「ドイツに学ぶ」時だと思う。

 80年代後半も、ドイツのサッカーは強かった。しかし、人気があったのはグラフやベッカーが活躍していたテニス。子どもたちの夢はテニス選手で、ブンデスリーガのスタジアムは寂しかった。1部の平均観客数は2万人を割り、満員になる試合も年に数試合。クラブ経営も苦しくなり、選手は国外に流出した。

 危機感からリーグは改革を急いだ。クラブ経営を健全化し、集客作戦を展開した。地元クラブのホーム戦のテレビ放送を禁止し、スタジアムのセキュリティーを強化。ファミリー席を設けるなどで女性や子どもの客を増やした。94-95年には観客が3万人を突破。06年ドイツ大会でスタジアムが整備されたこともあり、同年には平均観客数が4万人を超えた。多くの人に見られて、試合内容も選手の意識も大きく変わった。

 国内リーグの充実は、代表の強化にもつながる。選手の流出も減り、国民のサッカー熱は再び盛り上がった。それが、4度目の優勝にも貢献している。

 代表のスタイルもいいけれど、国内リーグを充実することも必要だろう。Jリーグの観客が増えれば、代表強化にもつながる。昨年の平均観客数は1万7226人。08年を最後に、2万人を超えていない。リーグが衰退すれば、サッカー界が衰退し、代表の人気もなくなる。テレビ視聴率は落ち込み、スポンサーは離れる。危機的状況になる。

 古くは日本リーグ時代から、日本はドイツに多くのことを学んできた。最近は代表強化などでスペインにばかり気持ちがいっているが、再びドイツに目を向けてもいい。学ぶことはたくさんあるのだから。(おわり)

















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