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OGGIの「毎日がW杯」
荻島弘一(おぎしま・ひろかず):1960年(昭35)東京都出身。84年に入社し、スポーツ部勤務。五輪、サッカーなどを担当して96年からデスク。出版社編集長を経て05年から編集委員として現場取材に戻る。
先制点で貫けなかった日本の攻撃サッカー
本田の先制点を喜ぶとともに、頭の片隅に嫌な予感が走った。「このままでは終わらない-」。予感はその通りになり、後半の2失点で逆転負け。ザッケローニ監督も、長谷部主将も、試合を振り返って「日本のサッカーができなかった」と話した。この日の日本代表は、昨年11月の欧州遠征やW杯前の準備試合の日本代表とは違った。
「日本らしいサッカーって何?」。そう聞かれることが多い。答えは、選手が連動し、素早いパスをつなぐ攻撃的スタイル。カギを握るのは選手間の距離だ。前線からDFラインまでをコンパクトに保ち、狭い範囲で多くの選手がプレーする。足もとの技術が高く、敏捷性もある日本人に合ったスタイル。それが、この4年間で磨いてきた「日本のサッカー」だ。
個よりも組織で戦う日本にとって、最も重要なのは選手たちが意識を共有すること。11人が同じ考え、同じ思いでプレーすることが日本スタイルのベースだ。選手の意志統一のために、ザッケローニ監督は「攻撃サッカー」を掲げた。全員が「攻める」という意識を強く持つことで、DFラインは高く保たれ、選手間の距離も短くできる。
ここ数試合、選手たちの意志は統一されていた。きっかけは「先制点を奪われる」ことだったようにも思う。リードされれば、攻めるしかなくなる。攻撃的なスタイルは保たれる。しかし、リードした場合は状況が変わる。「攻める」のか「守る」のか、選手たちの気持ちにズレが生じれば、日本スタイルの攻撃サッカーはできなくなる。
後半、日本は「間延び」していた。前線とDFラインが遠くなり、選手間の距離も広がった。パスが通らなくなり、カットされて相手に攻められる。これでは連動もできないし、組織の力は半減する。選手の疲労もあっただろうし、足が止まったのも確か。ただ、その根底に選手たちの意識のギャップがあったのかもしれないと思う。
大事な1次リーグ初戦で1-0のリード。「守りきろう」という意識が芽生えるのも不思議ではない。途中出場したドログバの脅威に、どうしてもDF陣は引き気味になる。前線の選手は「守ってないで追加点を奪おう」と積極姿勢を崩さない。強烈なカリスマで選手の意志を1つにできる選手がいればいいが、本田がいくら「攻めよう」と鼓舞しても、後ろは「そうは言っても…」となる。これでは、日本スタイルの攻撃サッカーはできない。
「先制点が日本のサッカーを封印した」は言い過ぎかもしれないが、日本のスタイルでもある「攻撃サッカー」が貫けなかったのは事実。コートジボワールに反撃されても、なお攻めの姿勢を貫き、DFラインを高くして選手間の距離を詰める勇気が必要だった。
まだ1試合が終わっただけ。残り2試合に連勝すれば、1次リーグ突破の可能性は十分にある。もう勝たなければいけない。勝つしかない。1次リーグ3試合を1つの試合だと思えば、まだ30分経過時点でリードを許しただけ。次からは、逆転勝ちを狙ってチームが1つになり、日本らしい攻撃サッカーをやってくれるに違いない。