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OGGIの「毎日がW杯」

OGGIの「毎日がW杯」

荻島弘一(おぎしま・ひろかず):1960年(昭35)東京都出身。84年に入社し、スポーツ部勤務。五輪、サッカーなどを担当して96年からデスク。出版社編集長を経て05年から編集委員として現場取材に戻る。

「メッシのための大会」予感させるゴール


 アルゼンチンのエース、メッシがボスニア・ヘルツェゴビナ戦で今大会初ゴールを記録した。得意の左足で狙いすまし、ポストに当てながら決めるという「らしい」ゴール。開始3分にFKで相手のオウンゴールを誘ったのに続く得点で、優勝候補のチームを初戦勝利に導いた。

 世界最高の選手と言われながら、W杯には恵まれなかった。18歳で初めて出場した06年ドイツ大会は、3試合出場で1ゴール。期待された10年南アフリカ大会は、5試合出場して0ゴール。ともにチームもベスト8で敗退した。バルセロナでは大活躍しても、W杯では輝けないのがメッシだった。

 この日も、前半は先制点を誘発した以外は目立たなかった。ドリブルしても相手にボールを奪われ、パスもミスした。スーパースターの片りんも見られなかった。「やっぱりメッシはW杯ではダメだな」と思っていたが、後半は相手の足が止まったこともあってか輝きだした。

 4年に1回の大会。五輪と同じように「ついている選手」と「ついていない選手」が、はっきりと分かれる。過去にもクラブレベルでは大活躍しながら、なぜかW杯では活躍できない選手は多かった。ケガで出場を逃す選手や、監督との不仲や構想から外れて代表に選ばれない選手もいた。

 メッシが「マラドーナ2世」と言われながら、マラドーナになれなかったのはW杯での活躍がなかったからだ。マラドーナは82年から4大会に出場して優勝1回、準優勝1回。特に、86年のメキシコ大会は「マラドーナの、マラドーナによる、マラドーナのための大会」と言われた。

 メッシが本家に追いつくためには、W杯での活躍が不可欠。しかし、大会を前にコンディション不良が伝えられた。「試合中に、また嘔吐(おうと)してしまうのでは」という目で初戦を見た。マラドーナに追いつくのは無理だと思っていた。「W杯では活躍できない」のがメッシだからだ。

 もっとも、マラドーナも86年大会前までは「W杯では活躍できない」と言われていた。16歳で代表入りした天才は、17歳で迎える78年の地元アルゼンチン大会の期待の星と見られていたが、最終候補25人に残りながら最後に落選。「若すぎる」が理由だった。82年大会は「マラドーナの大会になる」と期待されたが、わずか2ゴール。2次リーグのブラジル戦で相手選手に跳び蹴りをして退場処分を受け「敗因」にされた。

 2度のW杯に恵まれなかったから、3度目(出場は2度目)の86年大会を前に「マラドーナはクラブでは活躍できても、W杯では活躍できない」という見方も強かった。それをはね除けて、準々決勝のイングランド戦では「神の手」と「5人抜き」で2得点。一気に世界のスーパースターに駆け上がった。

 86年大会のマラドーナが25歳、今大会のメッシが26歳。これをきっかけに、さらにブレイクする可能性はある。求められるのは28年ぶりの優勝。ボスニア・ヘルツェゴビナ戦の活躍は、ブラジル大会が「メッシの、メッシによる、メッシのための大会」になることを予感させた。

















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