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OGGIの「毎日がW杯」
荻島弘一(おぎしま・ひろかず):1960年(昭35)東京都出身。84年に入社し、スポーツ部勤務。五輪、サッカーなどを担当して96年からデスク。出版社編集長を経て05年から編集委員として現場取材に戻る。
親友の米クリンスマンと独レーウ固い抱擁
クリンスマン監督は、米国ベンチ前でドイツ国歌を口ずさんでいた。元ドイツ代表のエースFWで、90年大会の優勝に貢献。06年の地元大会では、監督としてドイツを3位に導いた。11年から米国を率いる同監督にとって、母国との試合は特別なもの。親友でもあるドイツ代表レーウ監督との対戦でもあったからだ。
04年にドイツ代表の監督に就任した時、コーチとして招請したのがレーウ氏だった。当初、指導者経験の浅いクリンスマン監督の右腕としてドイツ協会が予定していたのは元浦和監督のオジェック氏。しかし、クリンスマン監督は拒否し、選手としても指導者としても決してビッグネームではないレーウ氏を呼んだ。
40歳のクリンスマン監督を44歳のレーウコーチが補佐した。米カリフォルニア州在住で「通い」だった監督に代わり、ブンデスリーガの選手視察や戦術面はレーウコーチが担当した。クリンスマン監督は06年のW杯後に辞任すると、後任のレーウ監督はクリンスマンのチームをベースに、ドイツ代表を進化させた。
2人は今でも電話やメールで密に連絡を取り合い、互いの意見を交換する。私生活でも仲がいい。昨年12月に1次リーグでの対戦が決まると、ともに「楽しみだ」と話した。
2試合を終えて1位ドイツ、2位米国。引き分ければ、ともに決勝トーナメントに進める。「2人の仲だし、意図的に引き分けるのでは」という臆測も流れたが、両者は強く否定。「今は連絡をとっていない」と試合前は絶縁状態であることを強調していた。
談合試合の臆測が流れるのには理由がある。82年大会、1次リーグ最終戦で西ドイツは隣国のオーストリアと対戦。直前の試合でアルジェリアがチリに勝ったため、西ドイツが2点差以内で勝てば1位西ドイツ、2位オーストリアが決まった。前半7分に西ドイツが先制すると、残る83分間はどちらも攻めず。ただ無気力にボールを回して時間を過ごし、1-0で両チームの2次リーグ進出が決まった。(これが問題となり、90年大会から1次リーグ最終戦は同時刻に行われるようになった)
ドイツは「談合試合」の臆測を吹き飛ばすように、前半から激しく攻めた。ミュラーの豪快なゴールで勝利したが、もしガーナがポルトガルに勝っていたら米国の2位は危うかった。
クリンスマン監督は試合後、レーウ監督と固い抱擁をかわした。さらに、自らが監督時代に育てたドイツ選手たちとも抱き合った。「立ち上がりは、ドイツをリスペクトしすぎた。しかし、厳しい組を勝ち上がれたのは偉業だ。さらに上に行きたい」と、前回大会で1次リーグを突破した4チームが入った「死の組」突破を喜んだ。
かつて強いドイツの「象徴」でもあったクリンスマン氏が、今大会は米国を率いて参戦している。ドイツ代表経験のあるMFジョーンズらドイツ系米国人5人を加えたチームは「ミニドイツ」でもある。もし、米国が今後の台風の目になれば、決勝で再びレーウ監督率いる「本家」と対戦することがあるかもしれない。