◆WEB企画
OGGIの「毎日がW杯」
荻島弘一(おぎしま・ひろかず):1960年(昭35)東京都出身。84年に入社し、スポーツ部勤務。五輪、サッカーなどを担当して96年からデスク。出版社編集長を経て05年から編集委員として現場取材に戻る。
32年前の恥辱がアルジェリアの歴史作った
アルジェリアの挑戦が終わった。強豪ドイツと接戦を演じた。シュートは打たれながらも、カウンターで見せ場を作った。90分間では決着がつかず、2点をリードされた延長後半ロスタイムには意地のゴール。最後まで勝負をあきらめない強い気持ちをみせた。
ナイジェリアとともに、アフリカ勢から史上初めて2チームが決勝トーナメントに進出した。直前のナイジェリアはフランスに敗れて初のベスト8入りはなかったが、アルジェリアの8強はありそうだった。ドイツGKノイアーの飛び出しがなければ、ゴールを奪ってもおかしくなかった。
敗れながらもマン・オブ・ザ・マッチに選ばれたGKエムボリは「ドイツと互角に戦った。我々はアルジェリアの歴史をつくった」と胸を張った。JFL(当時=現J3)のFC琉球でもプレーした経験のある守護神は、ゲッツェの至近距離のシュートを止めるなどスーパーセーブ連発でドイツを苦しめた。
アルジェリアにとって、W杯でのドイツ戦は忘れられない思いがある。初出場した82年スペイン大会。初戦の相手が、当時の西ドイツだった。試合は2-1で歴史的な勝利、続くオーストリアには敗れたが、最終戦でチリにも勝った。
しかし、アフリカ勢初の1次リーグ突破という野望は「ヒホンの恥辱」という世紀の「談合試合」によって封じられた。アルジェリア-チリ戦の翌日、スペイン北部の港町ヒホンで行われた西ドイツ-オーストリア戦、西ドイツの1点差勝利以外ならアルジェリアの2位以内が決まったが、結果は西ドイツの1-0。早々と先制した西ドイツは後方でボールを回すだけで攻めず、まんまと両チームが勝ち抜けを決めたのだ。
W杯の長い歴史でも、2勝で1次リーグを突破できなかったのはアルジェリアだけ。FIFAへの提訴は受け入れられなかったが、その後1次リーグ最終戦を同時刻に行うようになったきっかけになった。今回の試合は、アルジェリアにとって32年ぶりの「因縁」試合だったのだ。
アルジェリアのハリルホジッチ監督は試合前「アルジェリアにとって忘れてはいけない試合だ」と言って選手たちの闘志を奮い立たせた。実は、同監督も82年大会にユーゴスラビア代表FWとして出場し、総得点差で1次リーグ3位になる悔しさを味わっている。だから、アルジェリア国民の気持ちが分かった。
もちろん、この日出場した選手たちが生まれていない(クローゼは生まれていたけれど)時の話。ドイツのレーウ監督は「選手たちには関係のない話だ」と言った。アルジェリアの選手たちも「32年前の雪辱を」とは思っていないだろう。それでも、歴史は積み重なる。82年大会の屈辱があって、今回の健闘がある。アルジェリア国民の多くは、ドイツを苦しめる選手たちに、32年前の雪辱を託していたはずだ。そうやって歴史はつくられていく。
それにしても、ドイツはまた勝った。GKノイアーが「リベロ」として活躍。後半終了間際のFKで、ミュラーが故意に(?)こけるという爆笑トリックまでする勝利への執念が、最終的にアルジェリアを上回ったのか。ただ、延長まで戦って疲労は極限。フランスとの準々決勝で敗退するようなことがあれば、アルジェリアの「リベンジ」になるのかもしれない。