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OGGIの「毎日がW杯」
荻島弘一(おぎしま・ひろかず):1960年(昭35)東京都出身。84年に入社し、スポーツ部勤務。五輪、サッカーなどを担当して96年からデスク。出版社編集長を経て05年から編集委員として現場取材に戻る。
「アジア軽視だった」2代目/よもやま話
大会優勝国に贈られるトロフィーは、現在が3代目となる。初代の「ジュール・リメカップ」は、70年メキシコ大会で優勝したブラジルが「3度優勝で永久保持」と規定通り手にした。74年西ドイツ大会から使われたのが2代目。2人の選手が地球を支えるデザインで「ワールドカップ・トロフィー」と呼ばれた。
実は、この2代目トロフィーに描かれた世界地図は驚くほど「アバウト」だった。詳細な欧州や南北米大陸、アフリカに比べ、アジアはインドあたりから海岸線が怪しくなる。東アジアはほとんど原形なし。日本は四国も北海道も本州と地続き。極め付きは小ぶり朝鮮半島が下関とつながっていた。日刊スポーツで報じたのは、ちょうど02年W杯招致で日本と韓国が争っていた96年2月。すでにトロフィーの上では日韓共催が決まっていたわけだ。
2代目トロフィーが作られた70年代初めは、アジアはほとんどW杯と関係なかった。66年大会で北朝鮮がベスト8入りしたが、ほかの大会ではほとんど出ると負け。FIFAの「アジア軽視」も当然だった。この2代目は02年まで使用され、06年大会からは日本と韓国がはっきり分かれた3代目トロフィーになった。【荻島弘一】