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OGGIの「毎日がW杯」
荻島弘一(おぎしま・ひろかず):1960年(昭35)東京都出身。84年に入社し、スポーツ部勤務。五輪、サッカーなどを担当して96年からデスク。出版社編集長を経て05年から編集委員として現場取材に戻る。
日本の常連レベルの高き審判/よもやま話
ブラジル大会で8回目の「出場」となる常連の日本勢がいる。審判だ。今大会は西村雄一主審(42)と相楽亨副審(37)名木利幸副審(42)が、FIFAから指名された。西村、相楽両氏は前回の南アフリカ大会から連続で、日本の審判レベルの高さを証明した。
日本人審判が初めてW杯のピッチを踏んだのは、70年メキシコ大会だった。68年メキシコ五輪で評価を高めた丸山義行氏が、1次リーグの2試合で線審(現副審)を務めた。選手にとって「夢の夢」だった頃。いや、大会を知る日本人すらほとんどいなかった。
3週間(当時)の大会を終えて帰国した丸山氏は、日本の税関で止められた。1日100ドルの日当を持っていたからだ。今なら21万円程度だが、当時は1ドル360円時代。「W杯で審判をしてきたと言っても、分かってもらえない。だいたい、W杯を知らないんだから」と苦笑いした。そんな時代の大役だった。
86年と90年には高田静夫氏が日本人として初めて主審を務め、98年は岡田正義主審、02年は上川徹主審、06年は上川主審と広嶋禎数副審と続いた。日本代表のレベルアップとともに、審判も成長。南ア大会では、西村氏が第4審判として決勝戦に臨んだ。審判も、選手と同じように万全の準備で大会を迎える。【荻島弘一】