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OGGIの「毎日がW杯」
荻島弘一(おぎしま・ひろかず):1960年(昭35)東京都出身。84年に入社し、スポーツ部勤務。五輪、サッカーなどを担当して96年からデスク。出版社編集長を経て05年から編集委員として現場取材に戻る。
システムの歴史/よもやま話
W杯は「世界のサッカーの見本市」と呼ばれる。大会の度に新しいスタイルが登場し、その後4年間の流れを作ってきた。1つのシステムが確立されると、それを打ち破る新たなシステムが誕生する。その繰り返しが、W杯の歴史だ。
30年第1回大会から世界をリードしたのは「WM」システムだった。DF3、MF2、FW5だ。54年大会のハンガリーなどが、このシステムで世界一に輝いた。58年大会のブラジルは4-2-4を採用。相手のFW5人に対して6人で守り、6人で5人のDFを攻めるシステムで頂点に立った。このシステムは4-3-3に変化して70年代まで世界の潮流になった。
82年大会ではブラジルの「黄金の4人」、フランスの「四銃士」と呼ばれた4人のMFが活躍した。中盤の人数を増やした4-4-2が主流となる。さらに86年大会では中盤を厚くした3-5-2が登場し、90年大会では西ドイツがこのシステムで優勝を果たした。
前回の10年大会ではスペインがバルセロナの選手たちをベースにした「ポゼッション・サッカー」で初優勝した。4-2-3-1の中盤がボールを保持して攻めるスタイルは、この4年間で多くのチームに影響を与えた。さて、ブラジル大会ではどんなスタイルのサッカーが頂点に立つのか。W杯には、そういう楽しみ方もある。【荻島弘一】