【イチロー大相撲〈38〉】知られざる38代木村庄之助、最後の本場所へ

大相撲行司の最高位、38代木村庄之助が秋場所(9月8日初日、両国国技館)を最後に定年をとなる。

千秋楽の9月22日に65歳の誕生日を迎え、約50年に及んだ行司人生に別れを告げる。

くも膜下出血による息子の引退、脳梗塞による自身の休場、兄弟子の退職によってめぐってきた庄之助襲名―。

差し違えによる批判を受けたこともあったが、素顔は大相撲が大好きな好々爺。失礼を承知で、本人に全部、聞いた。

大相撲

◆38代木村庄之助 本名・今岡英樹。1959年(昭和34年)9月22日生まれ、島根県出雲市出身。1975年4月、元大関前の山の高田川部屋に行司として入門し、同年5月初土俵。1982年初場所で十両格、2005年秋場所で幕内格、2013年夏場所で三役格に昇進。行司名は木村秀樹、木村英樹、木村和一郎、式守勘太夫を名乗り、2019年初場所から立行司・41代式守伊之助を襲名。2024年初場所から行司の最高位、38代木村庄之助となった。

自らのアクリルスタンドを持つ38代木村庄之助

自らのアクリルスタンドを持つ38代木村庄之助

嫌よ嫌よも…

今年の夏巡業中、38代庄之助は、こんなことを言っていた。

庄之助 「関取衆がね、それを知っているか知っていないかは分からないけど、僕にこう、近寄ってきて話をすることが多いんですよ」

―何の話をしてるんですか?

庄之助 「ふざけた話です」

おそらく、話しかけた関取たちは知っている。次の秋場所を最後に、庄之助が定年となることを。

威厳に満ちた、近寄りがたいベテランの行司、ではない。

周囲から愛される、気の置けない行司。それが38代庄之助だ。

■湘南乃海 「庄之助親方には、入門した後に九州で(ラーメン店の)元祖長浜屋に連れて行ってもらって、それから毎年、2人で行きます。場所休みの日に朝から。替え玉4杯食べます。庄之助親方は1杯+半玉です」

本場所では、失敗もある。

2019年初場所から、立行司・式守伊之助を襲名した。伊之助時代、行司軍配差し違えは11回ある。

今年初場所から庄之助を襲名し、春場所千秋楽で差し違えた。

立行司になると、懐に短刀を忍ばせる。勝負判定を間違えた時、つまり差し違えた時は切腹する覚悟を示している。

実際に切腹はしないが、差し違えた場合は、理事長に進退伺いを申し出る。

ほとんどが慰留されるが、過去には休養=出場停止を言い渡された行司もいた。

立行司が差し違えると、花道を下がると、そのまま理事長室へ向かう。

私もその場面を見たことがあるが、とても話しかけられる雰囲気ではない。

理事長室では、どんなやりとりがなされているのか。

「理事長の方から『きわどい相撲も多いと思いますが、しっかり見てください』ということを言われます。こちらはただ、『すみません』と」

進退伺いの文書を提出するわけでもなく、立行司から事情を説明するわけでもない。重苦しい空気の中、理事長が思いを察して切り出すのだという。

千秋楽でない限りは、次の日も取組がある。どう気持ちを切り替えていくのか。

「まずは、穴があったら入りたい。ただ逆に、挽回のチャンスをいただけたなと、そう思いますね。人間って、失敗したら、2つ挽回しようという気持ちが強くなる。ボクはそういうタイプですね」

こういう時、SNSは荒れる。罵詈雑言が並ぶ。うっかり読んでしまうと、心が壊れかねない。

それでも目を背けることはないという。

庄之助は「気にしない。嫌よ嫌よも好きのうちって、言うじゃないですか」と微笑んだ。

■輝 「庄之助親方は、若い衆であっても力士として敬ってくれる。行司だからといって、決して偉ぶらない。それは上に上がっても変わりません。親しみやすい方です」

高田川部屋のある力士は、少し小さい声でこう言っていた。

「庄之助親方のメンタルはすごいっすよ。あんなにネットにも書かれたりするのに…。メンタルが強いんだと思います」

立行司になると、「伊之助親方」や「庄之助親方」のように敬意を表して称される。

38代庄之助は偉ぶることなく、むしろいじられる。

高田川部屋の朝稽古後、ちゃんこをいただきながら話を聞いた時のこと。

高田川親方(元関脇安芸乃島)や十両白鷹山らが、庄之助の失敗談をやや盛り気味に教えてくれる。それを庄之助が苦笑いしながら、否定する。

この瞬間を笑い合いながらいられるのも、庄之助として最後の場所を無事に迎えられるからこそだ。

■部屋の看板 38代庄之助が書いた。もともと左利きだが、毛筆で相撲字を書くため、右で書くことを覚えた。「筆の腹を使うからできるんです。筆法を自分で考えて答えを見つけました。腕を動かすんです」


■令和 式守伊之助だった2019年4月1日、奈良・五條市巡業の時に新元号「令和」を書いた。「『令』で緊張し、『和』でなごむという感じかな」

行司人生は苦難の連続だった。

印象的な3つのエピソードを紹介したい。


三役格行司だった2020年4月、脳梗塞を発症した。

東京都・江戸川区の新中川の土手などを散歩していた時のことだった。

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スポーツ

佐々木一郎Ichiro Sasaki

Chiba

1996年入社。2023年11月から、日刊スポーツ・プレミアムの3代目編集長。これまでオリンピック、サッカー、大相撲などの取材を担当してきました。 X(旧ツイッター)のアカウント@ichiro_SUMOで、大相撲情報を発信中。著書に「稽古場物語」「関取になれなかった男たち」(いずれもベースボール・マガジン社)があります。