【イチロー大相撲〈48〉】相撲芸人「あかつ」はなぜ相撲道場で教えているのか〈下〉

相撲芸人あかつ(43)の素顔を紹介する連載の2回目。

芸人として芽が出たあかつは、今や東京から福島に戻り、相撲道場を開いています。

これから何を目指していくのでしょうか。養子になったいきさつもまじえて、その素顔を紹介します。

大相撲

◆あかつ本名・山名大輔(赤津から改名したいきさつなどは、記事を参照ください)。1981年(昭和56年)5月22日生まれ、福島県いわき市出身。小4から大学卒業まで柔道を続け、高3時には国体団体16強など。仙台大卒業後に東京NSCをへて、吉本興業に所属していたこともある。現在は、相撲芸人として活躍中。相撲芸人ユニット「連合稽古」の一員として、2023年キングオブコント準決勝進出。個人事務所「赤津部屋」所属。165センチ。

あかつ相撲道場の子どもたち。右はあかつ(本人提供写真)

あかつ相撲道場の子どもたち。右はあかつ(本人提供写真)

―あかつさんは、福島で「あかつ相撲道場」を開いています。始めたきっかけは何ですか

コロナが増えてきたタイミングで、私は東京から地元(福島県いわき市)に家族で帰ったんですね。いわきって本当に、相撲に触れ合う文化がなかったんですよ。私がちっちゃいころから帰る前までは本当になかったんで。

今は、福島出身の関取で番付上位の方もいっぱいいらっしゃいますし、学生、アマチュア相撲とかもいわき市以外はあるんですよ。いわき市は相撲をやる環境なかったんで、相撲に興味ある子にとっては、かわいそうだなと思って。それで、相撲道場をやろうと思いました。それで1人しかこなかったとしても、それでいいと思って…。

夏巡業での一コマ。子どもとの稽古の最後に、稀勢の里と対戦したあかつ(左)は、土俵外に吹っ飛ばされた(2014年8月8日撮影)

夏巡業での一コマ。子どもとの稽古の最後に、稀勢の里と対戦したあかつ(左)は、土俵外に吹っ飛ばされた(2014年8月8日撮影)

―福島に戻ったのはいつごろですか

2020年の3月ですね。

―新型コロナウイルスが蔓延し始めたころですね。私は3カ月ぐらいで(コロナ禍が)終わんだろうって思いながらいたんですけど、うちの「おかみ」って言ってるんですけど、妻(静香さん)ですね。おかみが「これ、3、4年ぐらい続くんじゃない」って言ってて。そうなると、営業もイベントもなくなって、家賃も払えなくなる。1、2年後には地元に帰ろうかなっていう考えがあったんで「来年、再来年帰るんだったら、もうこのタイミングで行っちゃった方がいいんじゃない」っておかみが言って…。おかみが言ってんだったら、もう行っちゃうべって話で行ったんですね。

巨人阿部2軍監督(当時)のノックを受けたあかつは苦しそうな表情でグラウンドに倒れ込む(2020年2月11日撮影)

巨人阿部2軍監督(当時)のノックを受けたあかつは苦しそうな表情でグラウンドに倒れ込む(2020年2月11日撮影)

―奥様の先を見る目は鋭かったんですね

本当そうですね。それで戻って、家賃もかかんない状況になりました。

―家賃がかからない?

話がごっちゃになって申し訳ないんですけど、引っ越す1、2年ぐらい前、今から5年ぐらい前のことです。(いわき市で)母方のばあちゃんがずっと1人暮らししてて、今は92歳なんですけど、終活をしてて…。うちの母ちゃん姉妹はもう嫁に出ちゃったんで、跡取りがいない、姓を継ぐ人がいなくて、誰か継いでくんないかなっていうのがあったんです。じゃあ私、次男だったんで、私でよかったら苗字変えますって話をしたら喜んでくれて、そのばあちゃんと養子縁組をして息子になったんですね。

―そうなんですか

今、赤津大輔じゃなくて、私、5年前から「山名大輔」なんすよ。

―ちょっと待ってください。ウィキペディアでも、この情報は更新されてませんね。公表していない情報でしたか

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スポーツ

佐々木一郎Ichiro Sasaki

Chiba

1996年入社。2023年11月から、日刊スポーツ・プレミアムの3代目編集長。これまでオリンピック、サッカー、大相撲などの取材を担当してきました。 X(旧ツイッター)のアカウント@ichiro_SUMOで、大相撲情報を発信中。著書に「稽古場物語」「関取になれなかった男たち」(いずれもベースボール・マガジン社)があります。