【イチロー大相撲〈50〉】元旭日松が突然の退職 今、何をしているのか?

元幕内旭日松の振分親方(当時)が、今年の秋場所を最後に日本相撲協会を退職しました。

突然の出来事で、驚いたファンも少なくありません。

今、何をしているのか? じっくり話を聞きました。

大相撲

◆松嶋広太(まつしま・こうた)1989年(平成元年)7月21日生まれ、千葉県野田市出身。3歳からレスリングを始め、小2から小6まで全国大会優勝。中学3年時は、フリー85キロ級で全国制覇。元大関旭国の大島親方にスカウトされ、大島部屋に入門。2005年春場所初土俵。同期には髙安、勢(現春日山親方)らがいる。同年九州場所から、しこ名を本名から「旭日松(あさひしょう)に変えた。22歳だった2011年九州場所で新十両昇進。2012年春場所限りで師匠が定年を迎え、友綱部屋に移籍。同年夏場所は初日から10連敗。11日目から大量の塩まきを始め、トレードマークとなった。この場所は5連勝で終えた。2012年名古屋場所新入幕。最高位は前頭11枚目。2021年名古屋場所限りで引退。現役時代は175センチ、145キロ。親方となって後進の指導に当たっていたが、2024年秋場所を最後に日本相撲協会を退職した。

豪快に塩をまく旭日松(2017年3月23日撮影)

豪快に塩をまく旭日松(2017年3月23日撮影)

2025年1月、浅草で開店

日本相撲協会から発表があったのは9月22日。秋場所千秋楽の日だった。

大の里の優勝と大関昇進が話題になったタイミングでひっそりと、元旭日松の振分親方は協会を退職した。

本場所中は、国技館2階の売店で接客に務めていた。ファンと触れ合いつつ、場を盛り上げるのがうまい。

なのに突然、何があったのか。

11月のある日、東京・新宿で待ち合わせて話を聞いた。

―突然の退職でしたが、大島部屋での送別会はありましたか

退職の決断がギリギリだったので、送別会とかは、なしでした。大島部屋が葛飾に引っ越すタイミングでバタバタしてたっていうのもあります。

―秋場所まで国技館内の売店で仕事をされていたので、突然のことで驚いたファンもたくさんいました

20年近く相撲協会にいて、正直、(離れることに対して)複雑な気持ちもありました。でも、僕がやってみたい、挑戦してみたいっていう第2の人生、いや第3の人生なので、いいタイミングだったのかもしれません。

経営とか運営とか、人と一緒にチームになってできる何かをやりたいなと思っていました。自分のこの才能を開花させる自信があったから(笑い)、次の道に進みます。

優勝した白鵬(右)の旗手を務めた旭日松(2011年11月27日撮影)

優勝した白鵬(右)の旗手を務めた旭日松(2011年11月27日撮影)

―もう準備を始めているんですか

今は準備期間です。知り合いの方がカラオケバーを7、8店舗やってまして、その1店舗のマスターをやっています。

店は銀座8丁目で、相撲のお客さんを呼んだり、相撲の話をしたり、飲みながら歌ったり。僕ともう1人のおばちゃんと2人でやってます。

―店名や住所は、公表していいですか

出していいですよ。これが名刺です(店名=宝泉 東京都中央区銀座8の8の7第3ソワレドビル7F)。「親方」とか「親方くん」って言われてます。

―開店時間は

午後8時半からやってます。1人1万円くらいで、飲み放題で。相撲ファンの人たちも来てくれています。

朝稽古後、旭天鵬(右)にシャワーを浴びせる旭日松(左)。中央は魁聖(2014年7月2日撮影)

朝稽古後、旭天鵬(右)にシャワーを浴びせる旭日松(左)。中央は魁聖(2014年7月2日撮影)

話を進めていくと、カラオケバーにとどまらず、さらなる事業拡大の年明けからのプランがあることを明かしてくれた。

―まずは資金を貯めている段階ですか

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スポーツ

佐々木一郎Ichiro Sasaki

Chiba

1996年入社。2023年11月から、日刊スポーツ・プレミアムの3代目編集長。これまでオリンピック、サッカー、大相撲などの取材を担当してきました。 X(旧ツイッター)のアカウント@ichiro_SUMOで、大相撲情報を発信中。著書に「稽古場物語」「関取になれなかった男たち」(いずれもベースボール・マガジン社)があります。