【琴恵光の言葉】「稽古場だけが稽古じゃない」引退会見全文

大相撲の元幕内で西幕下11枚目の琴恵光(32=佐渡ケ嶽)が、夏場所8日目の19日、東京・両国国技館で引退会見を行った。師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)同席で、2007年春場所の初土俵から、17年間の現役生活を振り返った。引退時の身長は177センチで、中卒たたき上げの入門当時は体重100キロ足らず。引退時でも125キロという小兵だったが、常に真っ向勝負で努力家という実直な性格は、弟弟子らの尊敬を集めていた。引退会見の一問一答を、全て紹介する。

大相撲

引退会見に臨む琴恵光(左)と佐渡ケ嶽親方(撮影・滝沢徹郎)

引退会見に臨む琴恵光(左)と佐渡ケ嶽親方(撮影・滝沢徹郎)

決断に迷いなし

佐渡ケ嶽親方 本日は大変お忙しい中、琴恵光引退、尾車襲名会見にお集まりいただき、ありがとうございます。また、琴恵光が17年間、皆さま方には大変お世話になり、ありがとうございました。

琴恵光改め尾車親方 本日は、お忙しい中、このような場を設けていただき、誠にありがとうございます。私、琴恵光は、今場所で現役を引退することになりました。今後は、年寄尾車として後進の指導にあたります。現役中は後援者の皆さま、地元宮崎の皆さま、そして全国の大相撲ファンの皆さまには、長い間、いつも温かいご声援をいただき、心より感謝を申し上げます。こんなに長く相撲を取れたのも、師匠やおかみさんや親方衆、関取衆、若い衆の支えがあり、ここまでやることができました。そして、いつも家族には、温かく見守ってもらい、17年間、相撲と真摯(しんし)に向き合うことができました。今まで本当にありがとうございました。これからは、親方として精進して参りますので、今後ともよろしくお願いします。本日は、ありがとうございました。

琴恵光(手前)の引退会見で話す佐渡ケ嶽親方(撮影・滝沢徹郎)

琴恵光(手前)の引退会見で話す佐渡ケ嶽親方(撮影・滝沢徹郎)

―引退を決めた経緯について教えてください

琴恵光 そうですね。去年の九州場所で膝をケガしてしまって(左膝関節内側側副靱帯=じんたい=損傷)、そこから治療や稽古やトレーニングで回復を目指していたんですけど、その中で腰のヘルニアというのも重なり(今年3月の)大阪場所では、なかなか自分の思うような相撲を取ることができなかったので、そこで決断を致しました。

―まだ幕下に陥落して1場所。早いとは思いませんでしたか

琴恵光 そうですね。本当にたくさん考えたんですけど、その中でも、いろんな方からも「まだやれる」とか、すごく応援していただいたんですけど、自分の中で、やっぱり琴恵光らしい相撲を取ることができなくなったので、そこで決断致しました。

―迷いはなかったですか

琴恵光 そうですね。たくさん時間をかけて考えて、いつも自分の中にあるのは、後悔はないように稽古や、食事であったり私生活であったり体のケアであったり、後悔しないように今までやってきたので、そこで決断したことには迷いはなかったです。

引退会見で感極まる琴恵光(撮影・滝沢徹郎)

引退会見で感極まる琴恵光(撮影・滝沢徹郎)

―その決意を家族に話した時はどのような反応でしたか

琴恵光 そうですね。やっぱり、これだけ長く相撲を続けてきたので、やっぱり、少しさみしいという気持ちもありましたが、本当に精いっぱい、この体でやってきて…。そうですね。本当に…。感謝の気持ちです。

―披露宴を行って間もない夫人とはどんな会話をしましたか

琴恵光 そうですね。時間をかけて話をしたんですけど、もちろん、さみしい気持ちは、もちろんあるとは言っていたんですけど。夫婦力を合わせて、またやっていこうということで、このような決断となりました。

―初土俵から17年。一番何を大切にして土俵に上がり続けましたか

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1999年入社。現在のスポーツ部ではサッカー(1)→バトル→五輪→相撲(1)→(5年半ほど他部署)→サッカー(2)→相撲(2)→ゴルフと担当。他に写真部、東北総局、広告事業部にも在籍。
よく担当や部署が替わるので、社内でも配った名刺の数はかなり多い部類。
数年前までは食べる量も社内でも上位で、わんこそばだと最高223杯。相撲担当になりたてのころ、厳しくも優しい境川親方(元小結両国)に「遠慮なく、ちゃんこ食っていけ」と言われ、本当に遠慮なく食べ続けていたら、散歩から戻った同親方に「いつまで食ってんだ、バカヤロー!」と怒られたのが懐かしいです。