【大の里の大関昇進会見全文】「このような人は現れないっていうぐらいのお相撲さんになりたい」

関脇大の里(24=二所ノ関)が、大関に昇進した。9月25日、茨城・阿見町の二所ノ関部屋で昇進伝達式に臨んだ大の里は「唯一無二の力士を目指し、相撲道に精進します」と口上を述べた。初土俵から所要9場所での大関昇進は、昭和以降最速だった羽黒山、豊山、雅山の12場所を大幅更新した。

伝達式後の記者会見全文をお送りします。

大相撲

大関昇進伝達式を終え報道陣の質問に答える大の里(撮影・鈴木正人)

大関昇進伝達式を終え報道陣の質問に答える大の里(撮影・鈴木正人)

「180度変わった考えに…」

―昇進おめでとうございます。

大の里 ありがとうございます。

―伝達式を終えた今の気持ちはどうでしょうか

大の里 本当に大関っていう番付になれたんだなっていう、はい、実感が湧きました。

伝達の使者を待つ大の里(左)と二所ノ関親方(撮影・鈴木正人)

伝達の使者を待つ大の里(左)と二所ノ関親方(撮影・鈴木正人)

―使者を迎えるまで少し時間がありました。どんな気持ちで待っていましたか。

大の里 ああ、そうですね。もう緊張してましたね。はい。

―どれぐらいから緊張感というのが

大の里 俺もやっぱ本当に、カメラとか、テレビとかでは、やっぱり、こっち側でしか見たことなかったんですけど、こんなに人が集まってるって、あんまり、わかんなかったんで。すごい。はい、びっくりしました。

―最速の大関昇進となりました。これに関してはどういうふうに思ってますか

大の里 いや、本当にこれからだなと思いますし。番付、この番付になったから以上にはもうしっかりと、今までとは違うと思うんで、もっと自覚を持って。結果が全てだと思うんで、しっかりと。そのためにはしっかり稽古して、11月場所、しっかり迎えたいなと思います。

大関昇進伝達式を終え報道陣の質問に答える大の里(撮影・鈴木正人)

大関昇進伝達式を終え報道陣の質問に答える大の里(撮影・鈴木正人)

―入門から1年半での大関昇進です。この期間というのは長かったでしょうか、早かったでしょうか。どうなんでしょうか

大の里 やっぱり自分の中ではこの部屋に入って、じっくり基礎、基本を磨いて、今までのことから180度変わった考えに変わって、やっぱりこの環境が僕には合ってると思うんで。すごい実感しますね。

―順調にやはり番付を上げてきたという実感なんでしょう

大の里 そうですね。もうほんとに1日でも早く上の番付いくっていうことだけを考えて毎場所、毎場所がやってたんで、その結果が今回出てよかったです。

大関昇進の伝達を受け口上を述べる大の里(中央)(撮影・鈴木正人)

大関昇進の伝達を受け口上を述べる大の里(中央)(撮影・鈴木正人)

―口上についてうかがいいますが、「唯一無二」という言葉を口にされましたけれども、そこに込めた思いというのはどういうことだったんでしょうか

大の里 そうですね。もう口上をするにあたって、シンプルでいこうか、何か言おうかっていうことを考えて、はい、相談して。で、この言葉になりましたね。

―誰に相談したんでしょう

大の里 そうですね、高校の時の。はい。恩師の先生に相談して、したら、元々、父親が唯一無二になってくれっていうことを言ってて、そのお父さんの、父親の思いを込めて言ったらどうだってことで、はい、この言葉になりました。

―この口上が決まるまでの経緯、伺いたいんですが。月曜日の時点ではまだ何も考えていない

大の里 はい。

―その後、どういう流れで

大の里 そうっすね。もう、その、高校の時の恩師と電話して、これどうだ、ってことになって。もう自分の中では、もう完璧、これだと思ったんで。はい、迷わず使わせていただきますってこと。はい。

―練習はされました

大の里 めちゃくちゃしましたね。はい。

大関昇進の伝達を受け口上を述べる大の里(左から2人目)(撮影・鈴木正人)

大関昇進の伝達を受け口上を述べる大の里(左から2人目)(撮影・鈴木正人)

―実際、口上を終えて、口上の出来はどうなったですか

大の里 いや、もう覚えてないです。すごい、緊張してたんで。はい、はい。

―しっかりと言葉にできたという実感はありますか

大の里 はい、あります。

―元々、大関という地位は、どういう地位だというふうに今まで見ていた地位なんでしょう

大の里 もう、やっぱり協会の顔。横綱、大関は協会の顔だと思ってますし、責任もある、アルバムつきだと思うんで。自分も1日も早くなるんだっていう気持ちを込めてやってましたし。まさか、なれると思ってなかったんで、こんな早くに。はい。だからやっぱりうれしいですし、しっかりと、また、より一層自覚を持って、相撲に打ち込んで頑張りたいなと。

―ふるさと石川が大雨で苦しんでいる中で、昇進というニュース、届いていると思いますが、それに関してはどうでしょう

大の里 そうですね、やっぱり輪島だったり、能登が大変な状況にはなってるんで、こうやって優勝と大関昇進という、明るい話題が今日、石川県に届けられたかなと思うんで、また少しでも自分の相撲で元気が出てくれればうれしいなって、思ってましたね。

「指導という感じの稽古じゃなかった」

―師匠にうかがいます。おめでとうございます

二所ノ関親方 ありがとうございます。

―こういう伝達式というのは懐かしさを感じたんじゃないでしょうか

二所ノ関親方 そうですね。あー、懐かしかったですね。

場所前に亡くなられた師匠鳴戸親方(元横綱隆の里)の遺影が見守る中、大関昇進の口上を述べる稀勢の里(左)(2011年11月30日撮影)

場所前に亡くなられた師匠鳴戸親方(元横綱隆の里)の遺影が見守る中、大関昇進の口上を述べる稀勢の里(左)(2011年11月30日撮影)

―部屋創設3年目の大関誕生となりました。率直にどんなお持ちでしょう

二所ノ関親方 いや、こんな早くね。大関が誕生すると思わなかったので、非常にうれしい半面ね、これからもっと気を引き締めてですね。指導にあたって、ここで、ここがてっぺんじゃないですから。これからがほんと、スタートですし、これからまた強くなっていかなくちゃ、いけないと思ってますから。そういう部分でですね、より一層、気が引き締まるというような状況でございます。

大関大の里の木札(撮影・鈴木正人)

大関大の里の木札(撮影・鈴木正人)

―新大関は入門から1年半で昇進となりました。この期間というものに関しては、師匠はどうですか

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1999年入社。現在のスポーツ部ではサッカー(1)→バトル→五輪→相撲(1)→(5年半ほど他部署)→サッカー(2)→相撲(2)→ゴルフと担当。他に写真部、東北総局、広告事業部にも在籍。
よく担当や部署が替わるので、社内でも配った名刺の数はかなり多い部類。
数年前までは食べる量も社内でも上位で、わんこそばだと最高223杯。相撲担当になりたてのころ、厳しくも優しい境川親方(元小結両国)に「遠慮なく、ちゃんこ食っていけ」と言われ、本当に遠慮なく食べ続けていたら、散歩から戻った同親方に「いつまで食ってんだ、バカヤロー!」と怒られたのが懐かしいです。